聖女となった悪女は隣国の王弟殿下に溺愛される




 少し冷たい風が私たちの体を撫でる。
 遠くから聞こえる音楽を聞きながら、二人きりのバルコニーで私は自分の死の真相と、今日、目が覚めた後のこれまでのことをゼンに話した。

 いつもの飄々とした掴めない表情ではなく真剣な表情で、時々苦しそうな顔をし眉間に皺を寄せながらゼンは最後まで私の話を聞いてくれた。


「そう、だったのか。……守ってやれなくてすまなかった」
「あなたのせいではないわ。まんまと罠にかかった私が悪いのよ。……でも、まさか聖女である彼女に嵌められて殺されるとは思っていなかったけれどね」


 嫌われていたのは知っていた。
 私も彼女を嫌っていたから、別に気にしたことなんてなかった。……でも、まさか殺されるなんて夢にも思わなかったわ。


「リーチェは、どうしたい」
「皇太子に復讐するわ。せっかく手に入れたチャンスだもの。この命に代えても私は彼を私と同じ地獄へ落とすわ」
「いいや、そうはさせないよ」
「……そう、よね。……あなたは王族ですもの。(皇太子)に復讐だなんて黙ってみてられるはずが──」


 少しだけ、ショックだった。ゼンなら分かってくれると思ったから。この復讐でしか救われることのないこの私の気持ちを、彼ならきっと分かってくれると思ったから。


 私ってば、彼に甘えすぎていたのね。


 彼は隣国とはいえ、現国王の弟だ。この国にこれまで何度も招待されているということは、この国の皇族と深い関わりを持っている。
 そんな彼が、皇族に危害を加えるかもしれない者を前にして止めないわけがない。


 わかってる。でも、やっぱり少しだけ……胸が痛んだ。


「実は、今結んでいる平和条約が無効になるかもしれないんだ」
「え……?」


 私の声を遮った彼の言葉は、なんの脈絡もなくて。私は彼の言葉の意図を読み取れなかった。
 そんな私にゼンはいつもの飄々とした掴みどころのない笑顔で続けた。


「裏でね、戦争の準備をしているみたいなんだよね。あの皇太子。まぁ、今頃優秀な甥っ子の部下がこのパーティーに乗じて証拠を掴んでいるころだと思うけどね」
「戦争って、まさかそんな……。さすがにあの皇太子でもそんなバカげたこと考えるわけ……」


 そこまで言って、私は言葉を止めた。
 皇太子の言っていた、『もう少しで父上はいなくなる。そうなれば僕の時代だ』という言葉が脳裏を過ったからだ。


 あの時は目覚めたばかりだったこともあって、どういうことだろうと思って忘れていたけれど、もしかしてこのことと関係しているのではないだろうか。

 戦争を企て、その計画の主犯の罪を皇帝陛下に全て被せる。平和条約を結んでいる隣国に対する裏切り。しかしそんなことを貴族たちが許すわけがない。きっと彼らは皇帝陛下の首を差し出してでも平和条約を守ろうとするだろう。そうすれば次に即位するのは皇太子である彼だ。


「もう、二年ぐらい前の話だ。この国の不穏な動きを察知した兄上(国王陛下)が、名目上視察ということで使節団をこの国に派遣した。王弟である俺は兄上の片腕として身分を隠し、視察団に混ざってこの国に来ていたんだ」


 初めて本人の口から直接私に向けられて話される彼自身の話。また掴みどころのない笑顔を浮かべ、彼は話す。
 その途中で私に向かって伸びた手は、そっと私の頬に触れる。


「そんな時、リーチェ。キミに出会った」


 その手は肌の表面に触れるほど優しく、少しだけくすぐったくて「ん……っ」と小さく声を漏らし身を(よじ)る。


「あの日のキミに、俺は興味を抱いた。凛とした姿はかっこいいのに、ふとした瞬間に見せる横顔は、とても悲しそうだった。だから気になってしまったんだ。あの日、ここに来たのは偶々(たまたま)だと言ったけれど、あれは嘘だ。キミを追いかけてきたんだ」


 ゼンと出会った日のことは、私も覚えている。
 いつも通り、悪女と蔑まれるだけの参加する意味のない夜会。あの日も確か私は、どこかの男爵令嬢に持っていたワインを掛けた。

 そして一人になりたくて、私以外誰も来ることのない会場から少し離れた忘れ去られたこのバルコニーにいた。
 そして、出会った。少し息を切らし、しつこい令嬢から逃げてきたという彼──ゼンに。


「そして俺は知った。キミの可愛い姿をたくさん。誰よりも知っていると、自負するほどに」
「……知らなかったわ。そんなの。あなたはいつも自分のことを話さないから」
「言えなかったんだ。リーチェには婚約者がいて、それは俺がいつか地獄へ落とすかもしれない相手だったから」
「……さっきの、私の言葉を否定したのは、(皇太子)を地獄へ落とすのはあなたたちだから?」


 この命に代えても、私の力で皇太子を地獄に落とすつもりだった。どうせ私は地獄に落ちる運命なのだから。
 でも彼はそうはさせないといった。それはゼンが王族だからだと思っていたけれど、今の話を聞いてそうではないと知った。


「私には、彼に復讐する機会は与えられないのね……」
「そうじゃないよ」
「え……で、でも……」
「俺が否定したかったのは、皇太子に復讐する、ってところじゃなくて、キミも地獄に落ちると言ったところだよ」


 ゼンはそうハッキリと言葉にしながら、さっきまで撫でるように表面に触れていた手を少し動かし、私の落ちた髪を掬い耳へと掛ける。


「キミを地獄になんて落とさせない。今度こそ、俺が守るよ」


 ──胸が、高鳴らないはずがなかった。


 触れたところが次から次へと熱を帯びていく。私のこの醜い感情も、彼は受け止めてくれるというのだ。
 そして、彼はこんな私を守ると言ってくれている。もう、私は(ベアトリーチェ)ではないというのに。


「ねぇ、リーチェ」
「なによ」
「好きだよ」


 それは、突然の告白。
 心臓が止まってしまうのではないかと不安になる。


「あ、ごめん、嘘」


 彼の一言一言が、私の感情を揺さぶる。

 ツウ……と頬を涙が伝えば、彼は再び私の頬に伝う涙を拭いながら──


「愛してる」


 と、いつもと変わらない顔でそう言った。
 

「……ばか」


 私はたった一言、そう返すのが精一杯だった。

 今にも爆発してしまいそうな心臓を何とか抑えながら、私はそっと彼に両の腕を伸ばす。
 

 そして──


「私もよ」


 そう言って彼の首に腕をまわし、少しだけ背伸びをして私は彼に口づけを落とす。
 

 恥ずかしくてすぐに離れようとしたのに、彼の腕が腰に回ったせいで逃げることなんてできなくて。
 熱く、深く、今にも蕩けてしまいそうなほど優しい口づけをお返しされるのだった。






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