この世界に最後の花火を

隠していた真実

耳からなんだか騒がしい音が聞こえてくる。閉じていた目をゆっくりと開けると、そこには昨日まではいなかったお父さんの姿が瞳に映る。

「お父さん・・・」

私が父の名を呼んだことに驚いたのか、椅子から飛び上がって私のことを抱きしめてくる父。

「火花!」

昨夜は結局、一時間もしないうちに眠気が差しベッドに再び戻ったのを思い出す。誰も知らないとは思うが、私は一度目を覚ましているのだ。そう思うと、なぜか父のこの反応がおかしく感じてしまう。

まるで、私はずっと眠ったままだったかのような気持ち。心配かけたのにこんなことを考えるなんて、私は悪い子なのかもしれないな。

「母さん、火花が目を覚ましたぞ!」

「お、お父さん。痛いよ」

「あぁ、すまん。つい目が覚めたことが嬉しくて」

「火花〜!」

父と同じように、私の体に抱きついてくる母。久しぶりに二人に抱きしめられた気がする。普段の私なら恥ずかしさですぐに「離れて」と言っていただろうが、今だけはこの瞬間が愛おしかった。

近くで見る二人は、私の記憶にいる両親よりもいくらか皺の数が多く見えた。こんなにも両親は歳を取っていたのだなと時の流れを実感する。

"ガラガラ"

病室のドアが開き、白衣姿の先生と助手であろう前に受付で出会った看護師のお姉さんが入ってくる。

「夏目さん・・・おっとこれは失礼」

「あ、先生。ごめんなさい、お恥ずかしい」

確かにそこにあったはずの二つの温もりが、私の体をふっと離れていく。先生に見られたのは恥ずかしかったが、あと少しだけ三人で抱き合っていたかった。

この温もりを私は生きている間に、もう一度味わうことはできるのだろうか...

「せっかくの家族団欒を中断させてしまい申し訳ないです」

「いえ、いつでもしようと思えばできるのでお気になさらないで下さい」

「ありがとうございます。火花さんが起きたと聞いたので、ちょっと聞いてほしいことがあるのですが、今でもよろしいでしょうか?」

先生の面持ちが優しげな様子から、厳粛されたオーラがじわじわと放たれる。私の予感が正しければ、これからされる話は決していいものではないと悟る。

緊張のあまり握り締めていた手のひらから汗がじんわりと出てくる。部屋の暖房は暑くはない。むしろちょうどいい温度のはずなのに。

先生の瞳が私の方へと一直線に向いてくる。あぁ、来る。確実に良くないことを告げられる。

「火花さん。もうお分かりかと思いますが、今回倒れた原因は走ったことにあります。眠っている間に検査をさせてもらいました。結果は・・・」

言葉に詰まる先生...先生が黙ってしまうので部屋の空気が一段と重くなってしまう。病室にいる誰もが先生の次の言葉を待っている。どんな言葉がこようと受け入れることしかできない無力な私たち。

口の中に溜まった唾液がうまく喉を通っていかない。汗も手のみならず、首筋からもツーっと伝っていく。ひんやりとした一滴の汗が背中を流れるように落ちていく。

隣を見ると、両親たちも私と同様に額や首に数滴の汗をかいているのが見える。目が怖いくらいに見開き、その眼差しは揺れることなく先生へと向けられていた。

「先生・・・続けてください」

「本当に君は強い子だ・・・火花さん。君は夏まで生きることができないかもしれない。確実に心臓は弱っている。いつ止まってもおかしくはない状況なんだ。だから、これからはここで入院生活に・・・」

わかっていた...わかっていたけれど、いざ言葉に出して言われるとわかっていても心に深く突き刺さってしまう。『夏まで生きられない』という儚い現実がそこまで迫ってきていることに。

簡単に言えば、私はあと春夏秋冬ある四季の冬と春しか生きられないのだ。彼と付き合ったあの花火大会へはもう二度といくことができない。

今年の春に余命一年だと告げられた時は、あまり実感が湧いてこなかった。でも、こうして死期が近づいてくるたびに『死』が頭の中を駆け巡るようになってしまった。

それに加え、入院生活...彼や親友たちと毎日のように過ごしていた私の大切な居場所さえも奪われてしまう。当然のように会えていた日々が幻に感じてしまうのも長くはないだろう。

「わかりました先生。よろしくお願いします」

「火花、それであなたはいいの?」

さっきまで静かにしていた母が、急に息を吹き返したのか私の目を見つめてくる。

「いいよ。残りの人生は静かに過ごすとするよ。だから、学校には転校するとかそれらしい理由をつけといてほしい」

「本当にそれでいいの?最近ずっと学校に行く時楽しそうにしていたのよ。きっとあなたを変えてくれた人がいるんじゃないの?」

そっか...私は自分で気づかないうちに学校が好きになっていたんだ。あんなに余命宣告された時は行きたくないと駄々をこねていたのに、結局、私を変えてくれたのは周りにいた家族や友達といった人との繋がりだった。

それを今、私は自分の意思で断ち切ろうとしている。いいわけがないに決まっている。本当は学校に行きたい。でも、いつ倒れてしまうかわからないのが怖い。

友達の前で心臓が止まってしまったらと考えると、恐ろしくて仕方がないんだ。その光景は絶対にみんなの記憶に残り続けてしまうだろうから。そんな記憶をみんなには残してほしくないし、何より元気でいた頃の私を記憶しておいてほしいんだ。

病気に苦しんで闘っている私ではなく、みんなと同じようにクラスで普通に笑って、普通に勉強して過ごしていたあの頃の私を。

「うん。大事だからこそ、元気だった頃の私を覚えていてほしいんだ。これから病気で弱っていく私じゃなくて・・・」

「わかったわ。火花の意見を尊重するわ。ただし、条件があります」

なんだろう条件とは...私にできることが何か残っているのだろうか。

「あなたが大切だと思っている人には、しっかり自分の口から本当のことを話しなさい」

「え、どうして・・・」

なぜ、母がこんなことを言い出したのかわからない。私はこのまま隠すつもりでいた。例え、バレかかっていても嘘に嘘を塗り重ねて最後までやり過ごすつもりでいたのに。

「火花は教えたら、その人たちが辛くなると思っているのでしょ?火花が弱っていく姿を見ないといけないから。そして、その先も・・・」

「うん。私は大切な人たちが、悲しむ姿なんて見たくないの!一緒に辛い思いをしたくない。辛いのは私だけでいいの!」

感情的になってしまい、甲高い荒い声が部屋中に響き渡ってしまう。周りの大人たちは、私を憐れみの目で見ていると思った。でも、違った。みんなの目は悲しみに満ちていた。

私を一人ぼっちにさせるのではなく、一緒に悲観してくれている目。

どうして...どうして。私の何が間違っているのだろう。辛いのは私だけでいいはずなのに。

「ねぇ、火花。嘘をつかれた人たちが、ある日突然あなたの死を知ったらどう思う?」

「そんなの・・・」

言葉が出なかった。この後、母が私に話そうとしていることがわかってしまった。

「『どうして気づいてやれなかったんだ』『もっと頼ってほしかった』『最後まで、どんな姿の火花でもいいから側にいたかった』って思うんじゃないかな?お母さんならそう思うわよ。後悔しか出てこないと思う」

母が何を話すのかは大体予想がついていた。だけれど、言葉に出されると重みが違って聞こえてくる。その言葉を受け止めるか受け止めないかは、私自身の選択に委ねられている。

最終的に話すか話さないかを決めるのは私。きっと両親も先生たちも私がどんな選択をしても咎めることはないだろう。

数分間、頭の中を様々な考えが駆け巡り回る。そして、私は一つの答えに辿り着いた。

「答えが決まったのね」

「うん、決まったよ」

窓の外に映る雪景色が一段と濃さを増していく。明日は晴れてくれるといいなと願いながら、再び枕に頭を預けて目を閉じた。



今日は水曜日。週の真ん中で、あと半分で休日と考える人とまだ半分と捉える人で別れる日。ちなみに私は前者だ。

ベッドの脇にある置き時計の時刻は10時45分を指している。今頃、本来なら私も学校に登校をして三時間目の授業の準備をしているあたりだろう。

みんながどう過ごしているのか気になってしまう。先生からみんなになんと伝えられたのか、もしかしたらみんなはなんとも思っていないのではないかと、嫌なことばかりが頭の中で渦巻く。

"コンコン"

病室のドアがノックされる音が聞こえる。この病室は私専用の部屋なので、私以外に用があることはまずない。看護師さんが昼食を持ってくるには早すぎるし、熱はさっき測ったばかり。

それに男の人の声が聞こえる気がする。かなりの小声で話しているせいか、内容までは聞き取れないが、最低でも二人以上そこにいるのは確か。

「あの!どうぞ、入ってください」

ノックしてきたのに入ってこないことに対して、痺れを切らしつい呼びかけてしまった。ドアの前から聞こえていた雑音がピタリと止む。

入ってくる気にでもなったのだろうか、ゆっくりと病室の扉が開いていき制服に身を纏った男女三人が流れ込んでくる。昨日まで私がきていた制服。そして、もう着ることがない制服。

思わぬ人物たちの登場に、飛び起きるかのようにベッドから身を乗り出す。軋むベッドの上で、白い病院服を着ている私と佇んでいる彼ら。

「おう、火花元気だったか?」

普段と何一つ変わることのない様子で話しかけてくる日向。呆れながらも隣で微笑んでいる千紗。二人の後ろで楽しそうに眺めている冬夜。

私の大切な三人が、今私の目の前にいる。あまりの出来事に幻なのではないかと思い、目を擦って確かめるが答えは...

「なんだよ、火花。僕たちはちゃんとここにいるよ」

私が倒れる寸前に聞いた優しい声が私の頭の上から降り注いでくる。

「ど、どうして・・・みんな学校は?」

私の返答が面白かったのか、三人は顔を見合わせながら笑い合う。そんなに私は変なことを話しただろうか。

「何言ってんの、親友の方が大事に決まってるでしょ!これだから、火花は・・・私たちは親友だよ?もう少し私たちを頼ってよね」

「そうだぞ、俺らは親友だろ!隠し事はなしだ。火花の痛みも俺たちに分けてくれよ。親友が苦しんでんのに、助けられないのはあまりにも辛すぎる・・・」

二人の言葉が私の心に真っ直ぐに突き刺さる。いつもは二人の明るさに助けられていた。今日は、違う...二人の言葉に励まされているんだ。それが、どんなに嬉しくて支えになるか、こんなこともわからなかった私はやっぱりバカだ。

「ありがとうみんな・・・実はみんなに会ったら話しておきたいことがあったんだ」

真剣な面持ちになった私の様子に気づいた三人は、近くにあった椅子を手に取り私のベッドを囲む形で椅子に座った。真実を話すことが正解なのかはわからない。ただ、私は後悔をしない方の選択を選んだ。

時間をかけて私が、余命宣告されてから今日までの苦悩を話し続けた。その間、誰一人として声を出すこともなく、じっと堪えるかのように黙って話を聞き続けていた。

時折、千紗と日向は涙を流しそうになっていたが、なんとかあと一歩のところで踏みとどまったみたい。冬夜に関しては、一度も私から目を背けることなく真剣な眼差しだった。

「・・・ってことで、私はもう学校に行くことができないんだ。本当にごめんね」

一人で30分近く話しただろうか。ここまで、一人で話し続けたのは初めてだし、自分の気持ちを正直に曝け出すことができたことに私が一番驚いている。

「話してくれてありがとう。一人で抱え込ませて、気付けなくてごめん。僕が隣にいながら・・・」

一番最初に声を出したのは冬夜だった。気付けなかったことが悔しかったのか下唇をぎゅっと噛み締め、膝の上においてある拳は血管が浮き出てくるほど力強く握りしめているのがわかる。

私も辛いが、隣にいて気付けなかった冬夜も辛いんだ。

「ねぇ、冬夜。私が死ぬまで隣にいてくれる?」

ベッドの上に置かれた私の手が強く握られる。前もこんなことがあったなと思い返しながら、冬夜を見つめる。

「あぁ、当たり前だよ。ずっと君の側にいるよ」

この言葉の意味を私は、半分だけしか理解できていなかった。彼の言う『ずっと』の意味が。

冬夜は私の目を見てくれるが、日向と千紗は私が話してから俯いたまま一向に顔を上げようとしない。二人からしたら、長年付き添ってきた親友が『死ぬ』のはやはり耐えられないのかもしれない。

顔を見なくても長年二人を見てきた私には、わかってしまう。二人が声を上げずに泣いていることくらい。私の前では泣いていけないと思っているからなのか、一切の音すら感じられない。

声を我慢することはできても、体は我慢することができないのが人間。二人の肩は先ほどから上がったり下がったり、微かに揺れている。

「日向・・・千紗・・・」

"ガタンッ"

日向が椅子から立ち上がった拍子に、椅子が激しく床に倒れ嫌な金属音が病室に響く。

「ひな・・・た?」

下から見上げた親友の顔は、今まで共に過ごしてきた中で見たこともないくらい、怒り・悲しみ・絶望的な感情に縛られたゾッとするような表情をしていた。

こんな怖いオーラを纏った日向は絶対に見たことがない。恐怖のあまり彼に声をかけることができなくなってしまう。

「わりぃ火花・・・明日も来る。その時まで頭ん中整理しとく・・・」

そう言って日向は病室を重たい足を引き摺りながら、出て行ってしまった。無理もない。親友が死ぬと聞いたら私だって、日向みたいになってしまうだろう。

「ごめんね、火花。あいつ放って置けないから私も今日は帰るね。また明日も来るから」

目が赤く染まった千紗が私の返答も聞かずに飛び出していく。急な展開に取り残されてしまう私と冬夜。嵐のように過ぎ去ってしまった親友の二人。

一つだけさっきから気になっていることがあるんだ。それは、今もこの場にいる冬夜のこと。なぜ彼はこうも平気な様子で私の隣にいられるのだろう。

あの状況において正常だったのは、どちらかと言ったら親友二人の方だ。身近な人が余命宣告をされていたと知ったら、取り乱してしまうのは当たり前のはず。なのに、冬夜は普段と変わらぬ表情で私の側にいるのだ。

どうして彼は悲観せず、今も私を見守る温かい笑顔を向けてきているのだ。もしかして、冬夜は私のことが好きではないのでは...とよくないことを考えてしまいそうになる。

「二人とも帰っちゃったね。僕も帰った方がいいかな?」

「ううん。もう少しだけ側にいてほしい」

「もちろん!」

それから私たちは、一時間くらいなんの変哲もない普通の高校生がするような雑談をし続けた。冬夜の前いた学校のこと、買っているペットの名前、最近ハマっているYouTuberなど。

意外と近くにいて知らないことばかりだったのが、私にとって衝撃的だった。特に、私たちの趣味は絶望的なほどに合わなかった。

彼の趣味は釣りらしく、私は釣りが大の苦手。待っている時間が私にとっては無駄に感じてしまうのだ。きっと好きな人からしたら、あの待っている時間でさえも楽しいのだろうけど。

彼は一緒に釣りをできないことを嘆いていたけれど、こればかりは本当に申し訳ない。

「そろそろ僕も帰ろうかな。また明日も来るね」

「ありがと。でも、無理してこなくてもいいからね」

「いいや、会えるうちに会っておきたいからね。あ、そうだ。火花って血液型なんなの?」

「血液型?」

「そうそう。誕生日とか星座は聞いたけど、血液型は聞いてなかったなって思ってさ」

「私はB型だよ」

「同じなんだ」

安心した表情を見せる彼に私は、胸のざわめきを覚えた。一見すると、血液型が同じことに喜んでいるようにも見えるのだが、この時の私はそれだけではないと感じていたんだ。

彼が帰ってからというもの、私の病室はすっかり賑やかさを失ってしまった。人の有無だけで、こんなにも部屋の雰囲気も変わってしまうのだな。

真っ白な無機質に揃えられた壁や棚に囲まれた私。私以外の息遣いが聞こえてこないのが余計に、私の心を独りにしていく。早く明日になってほしいと願わずにはいられなかった。

それくらい『孤独』というのは、辛く寂しいものなんだと強く実感した。どうか、明日は四人で笑える一日でありますように...

翌朝、検査のために担当看護師のお姉さんに起こされる。目覚めの良い朝かと聞かれたら、私はノーと答えるだろう。昨日は一日中寝過ぎたせいか、夜は全く寝付くことができなかった。

病院生活が退屈すぎて、寝ることしか頭になかった私が悪いのだけれど。これからは本でも読んでみよう。多分、長続きはしないに違いないが,,,

検査をしているうちに午前中があっという間に終わり、時計の針は13時を指している。三人は何時ごろ来るのだろうと楽しみな反面、親友とどう顔を合わせたら良いかわからない自分もいた。

「おーい、火花入るぞー!」

ノックもなしに私の病室が威勢のいい声とほぼ同時に開かれる。こんなことをするのは、私の知っている人の中では一人しかいない。

「日向・・・」

気まずそうにしている私とは違って、彼の顔には昨日のこわばった表情は一切なく、むしろ笑顔に近い様子。そして、日向の後ろには千紗の姿も見える。

「火花、ごめんな昨日は。耐えきれなかった・・・火花があと少ししか生きられないなんて。今までも三人で過ごしてきたから、その現実が失われるのが俺は怖かった。でもさ、昨日あのあと千紗に怒られて気づいたんだ。本当に怖いのは俺や千紗、そして冬夜じゃなくて火花なんだよな。火花は度がつくほど優しいから、俺たちの気持ちを考えてくれたんだよな。それなのに俺といったら・・・」

「そんなこと・・・」

「もう強がらなくて良いよ。俺たちが火花の側にいるから、支えるから。時には弱いところを見せてくれ。だからさ、絶対に諦めたりすんなよ。余命になんて負けんな!勝てよ。絶対・・・絶対に・・・」

やっぱり日向は日向だった。常に前を見続ける、それが日向の一番良いところなんだ。このポジティブさに今まで何度助けられてきたか。今だって...私の心の支えの一部となっている。

「俺からは以上!次は千紗から話すから聞いてやって。それと、俺は今まで通り火花に接するからな。病人だからって優しくしたりなんかしないからな」

「ちょっとは優しくしてよね!」

ニカっと笑う太陽のような笑顔。いつだって日向は私たち三人の太陽だ。彼は私に今まで通り接するから優しくしないと言った。でも、それこそが本当の優しさなんだと私は思う。

病人と知っても、今まで通り接してくれるのがどんなに私にとって嬉しいことか。病気の私ではなく、夏目火花として彼の目に映っている証拠。

"本当にありがとう"と心の中で彼に伝えておく。この想いが届くことはないだろうが、それで十分。私たちの気持ちは繋がっているから。

眩しいくらい輝きを放っている太陽の横から顔を出す千紗。千紗の目の下には誰もが見て分かるくらいの隈が出来ている。彼女もまた、私とは違った理由で寝付けなかったんだ。

「ねぇ、火花。私さ、言いたいこと言ってもいい?」

「いいよ」

「ねぇ、どうしてもっと早く私たちに言ってくれなかったの。私たちは親友だよね。火花の気持ちも痛いほどわかる、私たちを想ってくれたんだって・・・でも、私はそれでも余命宣告された時点で言って欲しかった・・・」

「うん」

「なんで・・・なんで火花が死なないといけないの。まだ私たち17歳だよ。人生まだまだこれからなのに・・・高校卒業も、成人式も二十歳になってお酒を飲むのだって、たくさんしたいことがあったのに。いつまでも三人でいられると思ってたのに・・・どうして火花なのよ。こんなに良い子がどうして・・・」

ダムが欠落して水が一気に溢れ出すように、私の涙腺も限界を迎える。止めどなく溢れてくる涙を抑え切ることができない。私に釣られて涙する千紗。

「火花・・・私、火花がいなくなるの耐えられそうにない。日向みたいに今まで通り過ごすことはできないと思う。でも、毎日ここには来るから。ここで逃げたら、私は絶対この先の人生で自分を恨むと思うから・・・」

「そっか・・・ありがと、千紗。気持ちをぶつけてくれて嬉しかった。本音を聞けて安心した。私も冬夜も含めてみんなで高校卒業したい、大人になってお酒も飲みたい。全部全部みんなとしたいことだらけだよ」

「火花・・・」

「そんな顔しないで千紗。私だって、まだ諦めたわけじゃないよ。最後まで人生を諦めない、二人の言葉を聞いて決心がついたよ。私はこの命が消えるまで、人生を楽しむよ」

「火花、涙で顔ブサイクだよ」

「千紗もブサイクだよ」

「お前ら二人ともブサイクすぎ・・・俺も同じになっても良いかな」

「今だけはいいよ」

何もない病室にそれぞれの啜り泣く音が木霊する。千紗に関しては啜り泣くではなく、声を出して泣いていた。きっと病室の外の廊下まで響いていたに違いない。でも、今だけは何も気にしないで三人で泣いていたかった。

数分三人で泣いていると、扉がノックされる。こんな姿を誰かに見られるわけにはいかないと、三人が同時に目を服の袖で急いで擦る。

「三人とも泣きすぎだよ」

「冬夜」

三人の視線が一度に冬夜の方へと集まっていく。

「うわっ、目真っ赤じゃん!相当泣いたんだね」

フワッと私の鼻を掠める薬品の匂い。ここが病院だから、匂ったのだろうか。それにしても、いつもよりも匂いが強い気もするが、気のせいか。

四人揃ったことで、部屋が一段と賑やかに彩られる。どれくらい時間が経過しただろうか。いつの間にか、窓の外に映る景色は暗さを増し、太陽を反射して白く輝いているはずの雪が息を潜めている。

人にとってはただの雪。でも、私にとってはこれが人生で見る最後の雪になり得る。あと雪を見ることができるのは、数える程度しかないのだ。

20回、10回、いや天候次第ではもっと少ないかもしれない。子供の頃は雪が大好きで降るたびに外ではしゃいで遊んだ。成長するにつれて、好きじゃなくなってしまったんだ。

今はされど雪でも、私にとっては愛しいもの。久しぶりに雪で遊びたくもなったが、それはもう叶わない。きっと遊び出してしまったら、私はまた倒れてしまうくらいはしゃいでしまうから。

暗い道を一本の街灯が小範囲を明るく照らしている。まるで、その一部分だけ綺麗に世界から切り取られたみたい。

「そろそろ面会終了時間だから、帰らないとだな」

「そうだね。寂しいけど、また明日だね」

「うん。みんなありがとね、また明日」

荷物をまとめて部屋から出ていく日向と千紗。なぜか、冬夜だけは荷物をまとめずにその場に立ち尽くしている。

「あのさ、二人とも先に外に行っててほしい。少し、火花と二人で話がしたいんだ」

「わかった。先に外で待ってる。急がなくて良いからな」

「おう」

二人が部屋から出ていくのを確認すると、冬夜は私のベッドに腰掛ける。座ったは良いものの、冬夜の視界の先に私は映ってはいない。冬夜の視線は窓の外へと向いている。

一体何を考えているのか、私にはわからない。その横顔がなんとも儚い溶けゆく雪みたいに見えてしまう。

「あのさ、来週の夜少しで良いから外出できないかな。火花に見せたいものがあるんだ」

私に見せたいものとは、なんだろうか。考えてみたが、思いつくものは何もなかった。

「先生に聞いてみるね。良いよって言われたら、つれて行ってほしい」

「わかった。ありがとう」

月の光を満遍なく浴びながらこちらに顔を向ける冬夜。私と彼の視線が交わり、言葉のない沈黙の時間が流れる。徐々に近づいてくる整った顔の彼。

温かく柔らかい感触が私の唇に伝わってくる。彼の匂いがこれ以上ないくらい強くなっていく。なんの匂いかはわからないが、嫌いではないこの匂い。

キスをしている私たちの姿が、窓の外から差す月明かりで、ベッドに影として浮かび上がる。黒く型取られたキスをしているシルエット。

ゆっくりと私の唇から熱を持った温もりが離れていく。月夜に照らされながら見つめ合う二人の男女。言葉を発するわけでもなく、見つめ合うだけの時間。

どちらかが体を動かすたびに軋むベッドの音が生々しい。

「お願い冬夜、もう一回だけして・・・」

もう一度重なる私たちの唇。チュッと音を立て、熱を感じる間もなく離れていってしまう彼の唇。

「今日はおしまい」

言い方がついつい可愛くて思わず、キュンとしてしまう。心を奪われたというべきだろうか。もうすでに奪われてはいるが...

ベッドから彼が降りると、一瞬にしてベッドの沈みが元通りに戻ってしまう。もう少しだけ今日はいてほしい。でも、面会時間は過ぎてしまっているので、どうしようもできない。

その気持ちが彼にも伝わったのか、彼の大きな手が私の頭を優しく割れ物を扱うように髪の毛に沿って撫でられる。

「おやすみ、火花」

「おやすみ」

病室のドアが完全に閉じられるまで、私は彼が出ていった後を目で追い続けた。もうすでに彼は帰ってしまったというのに。この部屋に残っている彼の余韻に浸り、ベッドに横になる。

布団を頭が埋まるほど深く被り、人差し指でそっと私の唇に触れる。まだ唇には彼の熱が若干残っているような気がした。



































































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