私の嫌いな赤い月が美しいと、あなたは言う
月の輝く夜に
「なにかおっしゃったらどうなの⁉」
「俯いて黙り込むなんて、伯爵令嬢としての態度ではありませんわ」
なんだか頭がボーッとする。
黙って立っているだけなのに、眩暈がしているような不快感。
誰かが私に向かって苛立った声をあげているようだけど、どこか遠くから聞こえてくるようだ。
それでもキャンキャンと煩くて姦しい。
ふと、下げた目線に映る自分の着ているドレスが気になった。
地味な藍色で、さして高級な生地ではない。
(私がこんなドレスを着ているなんて)
誂えた一点ものではなく、既製品のような安っぽさ。
もっとよく見ようと思ったら、ドレスを握りしめていた自分の両手が目に入った。
お気に入りのダイヤの指輪も、凝った金細工の腕輪もない小さな白い手。かといって絹の手袋ははめていない。
(おかしいわ……)
ただひとつ、婚約指輪だろうか、細いプラチナ台に小さなダイヤが乗った指輪だけが左手の薬指にはめられていた。
(みっともないくらい小さな石。まるで子どものおもちゃみたい)
「だから、あなたから身を引くべきでしょ」
「いつまで婚約指輪を見ているの? そんなもの形だけだというのに、みっともない」
不意に、霞んだように見えていた周囲の景色がはっきりと形になってきた。
(ここはどこ?)
王宮とは違う低い天井と、狭い廊下。
白亜の大理石で作られた城には豪華なシャンデリアが煌めいていたというのに、この屋敷にはなにもない。
古典的なアラベスク模様のカーテンの隙間からは木立が見える。
濃い紫とオレンジのグラデーションのような空の色から、日没後かと思われる。
ゆるやかな音楽も聞こえてくるから、この屋敷では今から夜会が開かれるのだろう。
そして、窓ガラスに映った私の姿は……私ではなかった。
(これが、私?)
衝撃とともに、遥か彼方から聞こえていたのが目の前の令嬢から発せられている言葉だと気が付いた。
「ほんとに、ぼんやりした方ね」
クスクスと嘲笑う声。
「仕方ないわ。成金の伯爵風情じゃあ、礼儀作法だってこの程度ですわ」
おかしい。
かの国の『至宝』とまで呼ばれた公爵令嬢である私が、こんな戯言を言われるなんて。
「真音さん、今日こそおっしゃって。九鬼様との婚約はあなたから辞退するって」
その言葉に、私はゆっくりと顔を上げた。
目の前の令嬢たちに、私の顔がどんなふうに見えたのだろう。
これまでギャンギャンと騒ぎ立てていたというのに、揃って口をつぐんでしまったのだ。
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