私の嫌いな赤い月が美しいと、あなたは言う
謀略
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九鬼誓悟は鷹司家を訪ねていた。
ここは真音の母の実家で、真音の祖父が家長として鷹司一族を束ねている。
小高い丘を利用して建てられた堅牢な屋敷だ。
重厚な冠木門から前庭が続き、奥には堂々とした建物が何棟も続いている。
いくつもに分かれて複雑な形になっているのは、かつてこの国に内乱があった時代に皇宮の移転先の候補とされた名残だろうか。
長い廊下を歩かされて誓悟が通されたのは、書院造の和室だった。
ひと気のない、シンとした空間だ。
「待たせたな」
襖がすっと開いて、鷹司侯爵が姿を見せた。
当主の鷹司隆道は白髪の小柄な老人で、とても軍を束ねていたようには見えない。
妙に近寄りがたい雰囲気があるせいか、宮中でも孤立した存在だ。
軍略において右に出るものはないと言われているが、今の平和な時代には策を弄することなど無用だと思われているのだろう。
海軍で猛者たちに囲まれて働いている誓悟でさえ、背筋に緊張が走った。
殺気とでもいうのだろうか、ものすごい圧を感じる。
「ご無沙汰いたしております」
正座したまま、誓悟は深く頭を下げた。
「挨拶はほどほどでよい。今日はなんのご用かな?」
着流し姿の隆道から発せられていた、目に見えない力がフッと消えた。
誓悟が話しやすいように気を緩めてくれたのだろう。
「実は、伊集院家のことで……」
誓悟はまず、自分の非を認めてから隆道に最近の出来事を話すことにした。
婚約していることに安堵して、海上暮らしが長いことを理由に真音に関わっていなかったことを打ち明けるのは勇気が必要だった。
誓悟が話している間、隆道はひと言も口を挟まない。
佐和子夫人や琴音が離れに移されるなど、なにかが伊集院家の中で起こっているようだと告げたら隆道が静かに頷いた。
恐らく榊あたりから報告が上がっているのだろう。
それより別人のようになった真音のことや、怪しげな乾という男の存在が気にかかることも正直に話した。
誓悟の話を聞いていた隆道が、乾の話になった時に少し眉をしかめた。
「乾……」
「佐和子夫人が分家の養女になって輿入れしてきた時についてきた男です。佐和子夫人や琴音さんは彼の言いなりになっています」
しばらく沈黙したあと、隆道がフッと肩の力を抜いた。
「それで?」
「は⁉」
「君はどうしたいのかね」
隆道にじっと視線を向けられると、誓悟は心の奥まで見透かされたような気持になった。
「近いうちに、真音さんを予定通り妻に迎えたいと思っています。ただ乾がなにをしようとしているのかが気になりまして、ご相談に伺いました」
「あれは……随分と昔に、我が家の書生をしておった」
隆道は伊集院家の内部については興味がなさそうだったが、乾のことだけは遠い目をして話し始めた。
「もう何年前になるか……乾は、ある寺格の高い寺の門主の隠し子であった」
「え?」
「優秀であるというのに生まれのことで不当に扱われていた。あまりに不憫であったから、わが家で引き取ったのだが……真穂路が……」
隆道が高齢になってから生まれたのが真穂路だ。それこそ目に入れてもいたくないような溺愛ぶりだったという。
なぜ真音の母の名が出てきたのか、誓悟にもわからない。
「別の家に奉公させようと紹介状を持たせたのだが、ここ数年行方がわからなかった。伊集院の分家に潜り込んでいたのだな」
真穂路は佳人として名高い鷹司家の令嬢だった。乾は年上の真穂路に邪な好意を寄せていたのだろうか。
もし真穂路の嫁ぎ先が伊集院家と知って、分家に勤めていたとしたら気持ちの悪い男だ。
(だが、真穂路様はすでにお亡くなりになっている)
それならば乾が狙っているのは、真穂路の遺したひとり娘の真音だ。