昭和式スパルタ塾行き回避すべく、通信教育教材頼んだら二次元で三次元イケメン&キュートな男の子達がついてきた
洗面所兼脱衣場で服を脱ぐと、ハンドタオルを手に取って、いつもと変わらず恥部は隠さずにすっぽんぽんで浴室に入る。続いて風呂椅子に腰掛けて、シャンプーを押し出した。
髪の毛をゴシゴシ擦っている最中だった。
「やっほーショウコイルゥーッ!」
突然そんな声がしたと思ったら、湯船がバシャァァァーッと飛沫を上げ、中から摩偶真が飛び出して来たのだ。
「どっひゃぁぁぁぁぁぁぁーっ!」
昇子はびっくりして思わず仰け反る。もう少しで後ろのタイル壁に後頭部をぶつけるところだった。
「遊びに来ちゃった♪」
摩偶真は舌をぺろりと出して、てへっと笑う。
「もう、摩偶真くんのエッチ。ていうか、どうやって、入って来たの?」
昇子は当然のように驚き顔だ。
「空気中、およそ二〇パーセントを占める酸素に変身してここまで浮遊して来た後、お湯の中に溶け込んでたのだ」
「そっ、そんな能力まで、使えるの?」
昇子は目を大きく見開く。
「うん! 主要五教科五人の中で変身能力を使えるのは、理科のこのオレっちだけなんだよ。えっへん!」
摩偶真は自慢げに、嬉しそうに答える。
「そっ、そうなんだ……っていうか、せめてお○んちんは隠したら」
昇子は摩偶真のあの部分をばっちり見てしまい、照れ笑いしつつ手で目を覆う。
「ショウコイル、オレっち、中一だけどまだ毛が生えてないお子様体型だから全然問題ないでしょ?」
「いやぁ、でも、ちょっと、困るな」
「ショウコイル照れ屋さんだな。じゃあこうするよ。ショウコイル、手ぬぐいであそこ隠したから手をのけてみて」
「ほっ、本当?」
言われるままに、昇子は手をゆっくりと目から離した。
本当に手ぬぐいが摩偶真のあの部分を隠すようにしっかりと巻かれていた。
「どう? 似合う?」
「うっ、うん。それより、どうやって一瞬で?」
「さっきはオレっちの体の一部を手ぬぐいの素材、ポリエステル繊維に変化させたのだ」
「そっ、そういうことかぁ」
「酸素に変身したのもそうだけど、普通はこんなこと化学的に起り得ないでしょ。でもオレっち、物質の化学的性質とか質量保存の法則とかは完全無視して自由自在に変身出来るという設定になってるから。オレっち、当然のようにこんなのにも変身出来るのだ」
そう告げると摩偶真はパッと姿を消して、一辺の長さ三センチくらいの立方体の形をした銀白色の物体へと変化した。そのまま重力に逆らえず湯船の中にポチャンと落下する。
飛沫を上げた次の瞬間、
バチバチバチッ、ポーンッと破裂音を立て湯船から火花も上がった。
「うひゃぁぁぁーっ!」
昇子はさっき以上に大きく仰け反る。
――ゴツンッ!
「いったぁぁぁいーっ」
後頭部を後ろ壁にぶつけてしまった。
「金属ナトリウムに変身してみたよ♪ ナトリウムは原子番号11の、体心立方格子構造を持つアルカリ金属元素でK殻に2個、L殻に8個、M殻に1個の電子があり、イオン化傾向が大きく、電子配置は【1s2、2s2、2p6、3s1】、炎色反応は黄色を示し、水と激しく反応し水素を発生させる性質を持ってるのだ。勉強になったでしょ? 高校化学の範囲もまじってるけど今覚えておいても損はないぜ」
摩偶真は再び元の姿に戻った。
「……ってことは、湯船の中、今、水酸化ナトリウム水溶液になってるんじゃないの?」
「ご名答。ちなみに化学反応式は2Na + 2H20 →2NaOH + H2だよ。浸かったらお肌ぬるぬるになるぜ」
摩偶真は無邪気な笑顔で解説する。
「ご名答じゃないよ、危なくて入れないでしょ」
昇子はかなり困惑した表情を浮かべる。
「変身した量は少なかったし、そんなに濃度は高くないから安全性にはほとんど問題ないんだけどね。ショウコイル気になってるようだから元の状態に戻しておくね」
そう言うと、摩偶真はその水溶液の中にドボォォォーンッと飛び込み瞬く間に姿を消した。
「昇子、やけに騒がしいけど何かあったの?」
母が浴室扉のすぐそばまで迫ってくる。
「なっ、なんでもないよ」
昇子は慌てて返事した。
「昇子、今日帰ってから何か変よ」
母はそう不思議そうに告げて、リビングへと戻っていく。
「ショウコイル、中和しておいたぜ」
摩偶真はまたさっきの姿へ。
「うわっ」
昇子は少しだけ驚く。
「ショウコイル、さっきオレっち、どんな物質に変身したと思う?」
「分かるはずないでしょ」
「化学式HClの塩酸だぜ。NaOH + HCl → NaCl + H20の化学反応式で表されるのだ。中学理科化学分野中和反応における基礎中の基礎知識だから、ちゃんと覚えておかなきゃダメだぞ」
「……わっ、分かった」
「ショウコイルの本名の昇子って、昇汞(しょうこう)と名前がそっくりだから親しみやすいよ」
「昇汞って、何?」
「化学式HgCl2で表される、塩化水銀(Ⅱ)の別称だよ。無色で光沢のある柱状結晶。水やアルコールによく溶けて、極めて有毒で昔はバッテリーや殺虫剤、消毒液、防腐剤としても使われていたのだ」
「そんなのもあるんだね」
「高校化学で習うと思うぜ。ところでショウコイルって、月一回程度、数日に渡って血液が子宮から体外に排出される三次元世界のヒトのメスで言うアノ日はもう来たのかな?」
摩偶真からにやけ顔でされた質問に、
「いや、まだだけど」
昇子はやや苦い表情で即答した。
「やっぱりな。体つきからしてそうじゃないかなぁっと思ったよ」
摩偶真はにこにこ微笑みながら、昇子のすっぽんぽん姿を楽しそうにじーっと眺めてくる。
「もう、摩偶真くん、女の子にそういうこと聞くのは失礼よ」
昇子は照れくさそうに摩偶真の頭をぺチンと叩く。
「すまん、すまん。まあ気にするな。オレっちだって精通まだ来てねえから。そんじゃあショウコイル、オレっち、先にショウコイルのお部屋に戻っておくね」
摩偶真はそう告げてウィンクし、またもパッと姿を消した。
気体の酸素に変身したのかな?
と昇子は推測した。
このお湯、本当に、大丈夫なのかな?
恐る恐る、湯船に手を突っ込んでみる。
いつもの湯加減と変わりなかった。確かに元通りになっていた。
昇子は安心して洗面器にこのお湯を掬い、頭を洗い流す。
その際、昇子の舌にお湯がわずかにかかった。
なんか、少ししょっぱぁい。
昇子は少し顔をしかめる。化学反応によって生成された食塩がちょっぴり含まれていたのだ。
もう一度、冷静に考えてみよう。さっき起きたことって、本当に、現実なの? あり得ないでしょ。男の子と女の子が、テキストから飛び出して来たなんて。
風呂から上がった昇子は脱衣場でパジャマに着替えながら、思い直してみる。
いるわけ、ないよね?
二階に上がると、恐る恐る、部屋の扉を開けてみた。
「おかえりショウコイル」
「昇子君、メスブタ臭かった体が少しはマシになったな」
「昇子さん、入浴時間から推測すると、烏の行水ではなかったようですね」
「昇子お姉ちゃん、ちゃんと百まで数えた?」
「ショウコちゃん、入浴するは英語でtake a bathだよ」
いた。さっきの五人が――彼らの姿が、しっかりと昇子の目に映った。
消していったはずの電気もついていた。
「……あの、私、今日は疲れてるみたいだから、もう寝るね」
昇子は教材キャラ達に向かってこう伝えると電気を消してベッドに上がり、布団にしっかりと潜り込んだ。
「ありゃまっ、もう睡眠状態に入るの? ショウコイル」
「ぼく、昇子お姉ちゃんともっとお話したいのに。でもぼくももう眠いし、寝よう。おやすみ、昇子お姉ちゃん」
「昇子君、おれさま達が三次元化したせいで、急な環境変化に順応出来ず体調崩しちまったのか?」
「そうかもしれませんよ、玲音さん。今宵はゆっくり寝させてあげましょう」
「ショウコちゃん、明日からは本格的に家庭学習指導していくよ。グッナイ!」
こうして教材キャラ達は、それぞれの教科に対応するテキストの中へと飛び込んでいった。
……あれは、幻覚に違いないわ。
昇子はそう思い込むことにした。
☆
真夜中、三時頃。
「ねーえ、昇子お姉ちゃぁん」
どこからか、とろけるような声が聞こえてくる。
「――っ」
昇子はハッと目を覚まし、ガバッと上体を起こした。
「ん?」
瞬間、昇子は妙な気分を味わう。左腕に、何か違和感があったのだ。
「昇子お姉ちゃぁん」
「この、声は?」
昇子は恐る恐るゆっくりと、顔を横に向けてみた。
「うひゃぁっ!」
思わず声を漏らす。彼女のすぐ隣、しかも同じベッド同じ布団の中に、流有十がいたのだ。
「おしっこしたいから、付いて来て、お願ぁい」
頬を赤らめて、昇子の左袖を引っ張りながら照れくさそうに要求してくる。
「あっ、あっ、あの……」
私は今、夢を見ているんだ。きっとそぅだ、それ以外あり得ないでしょ。
昇子は自分自身にこう言い聞かせる。
「昇子お姉ちゃぁん、ぼく、オーバーフローして漏れそう。もう我慢出来ないぃぃぃ」
流有十は今にも泣き出しそうな表情になり、全身をプルプル震わせた。
これは夢だ、これは夢だ、夢に違いないって!
けれども昇子は無視することに決めた。心の中でこう呟いて、再び布団に潜り込む。
ほどなく彼女は二度目の眠りに付いた。
☆ ☆ ☆
朝、七時四〇分頃。
「うひゃあああああああーっ! うっ、嘘でしょ」
萌えショタキャライラスト入り目覚まし時計の、とろけるようなボイスアラームと共に目覚めた昇子は、起き上がった直後に絶叫した。
布団とシーツが、おしっこまみれになっていたのだ。
「こっ、これって……」
昇子は布団とシーツを見下ろす。彼女の着ているパジャマも、おしっこまみれだった。ちょうどズボンの前の部分が黄色いシミになっていた。もちろんにおいも併せて漂う。
どう処理しよう。
冷や汗を流し、深刻そうな表情で悩んでいたその時、
「昇子、どうしたの? 朝からご近所迷惑な大声出して」
「うわっ、マッ、マッ、ママ」
折悪しく、扉が開かれ母が入り込んで来た。
「ん? 何これ? 昇子、ひょっとして、おねしょしたのぉ?」
母は昇子のパジャマズボンをじーっと見つめながら、とてもにこやかな表情で問い詰めてくる。
「ちっ、違う! 断じて違うのママ。これは、真夜中に、小学生の男の子が私の布団に入り込んで来てそれで、その……」
昇子は必死に言い訳しようとする。
「昇子、アニメの世界と現実の世界を混合するんじゃないの」
母はくすっと笑った。
「ほっ、本当なんだって。その、あの教材の中から、飛び出して来て」
昇子は床の上に置かれたそれを指差しながら訴えてみた。
「はいはい、メルヘンチックなこと言ってないで早く着替えなさい。森優ちゃんもうすぐ来ちゃうわよ」
けれどもやはり無駄だった。母はにやにや笑いながら命令する。
「信じてよぉー」
昇子は悲しげな表情を浮かべながらパジャマを脱ぎ、下着も替えた。そして制服に着替え始める。
「それ、貸しなさい」
「いいって、私が持っていくから」
「まあまあ昇子、恥ずかしがらずに」
「あっ!」
あっという間に、パジャマ一式と下着を奪われてしまった。
「早めに洗濯しなきゃ、汚れが落ちにくくなるでしょ」
母は部屋から出て、意気揚々と階段を下りていく。
今、時刻は七時四七分。
まだ大丈夫ね。
昇子がそう思った直後、ピンポーン♪ と玄関チャイムが鳴ってしまった。
「おはようございまーす、昇子ちゃん、おば様。今日は昨晩お祖母ちゃんちから届いたお野菜果物と水羊羹の詰め合わせをお裾分けするために、少し早めに来ちゃいました♪」
いつもより十分ほど早く森優が迎えに来てくれたのだ。しかも森優が玄関扉を開けたのと、母が階段を降り切って玄関前に差し掛かったのとが同じタイミングだった。
「おはよう森優ちゃん、今朝昇子ね。おねしょしちゃったのよ。これ見て♪」
母は嬉しそうに、森優の目の前に黄色く変色し特有のにおいも漂わせていた昇子のパジャマをかざした。
「あらまぁ」
森優は段ボール箱を両手に抱えたままやや前かがみになり、興味深そうにそれをじっーと見つめる。
「わああああああああんっ、えっ、冤罪よぉーっ!」
昇子は半袖ポロシャツに首と袖を通しつつ、慌てて階段を駆け下りながら弁明する。
「昇子ちゃん、恥ずかしがらなくても。たまにはこういうことだってあるよ」
森優は柔和な顔でフォローしてあげた。
「あの、森優ちゃぁん」
知られてしまった昇子は、かなり沈んだ気分になる。
「昇子、早く顔洗って朝ごはん食べて、学校行く準備しなさい」
母は笑いながら命令する。
「わっ、分かったよ」
昇子はしょんぼりとした気分で洗面所へ向かっていった。
こんなことがあったためか、森優と昇子は普段より三分ほど遅れて家を出た。
今日は五月三十日、木曜日。昇子達の通う学校では来週月曜から完全夏服だ。
もし昨日の出来事が本当のことだったら、私はおねしょをしていない。もし夢の中の出来事だったなら、私はおねしょをしたことになっちゃうよぅ。どっちがいいの? この場合。
昇子は俯き加減で歩きながら葛藤する。
「あの、昇子ちゃん。元気出して。おねしょのことはもう忘れちゃおう」
森優に優しく励まされ、
「うん、そうだね」
昇子は穴があったら入りたい気分になった。
「そういえば昨日、教材が届いたんでしょ、学実ちゃんから聞いたよ。あまり良くなかったみたいだね」
「いや、よく確かめたら、使えそうな教材だったよ」
「そうなんだ。よかったね。今度わたしにも見せてーっ」
森優はやや興奮気味に要求してくる。
「いやっ、そっ、それは……そのうち、見せてあげる」
昇子は少し躊躇うも、一応約束してあげた。
「楽しみにしてるよ」
森優はにっこり微笑む。
同じ頃、昇子のお部屋ではサム、流有十、玲音、伊呂波が三次元化して部屋の中央付近に集まっていた。摩偶真だけはまだ教材内で睡眠中だ。
「ルートくん、bedwettingしちゃったんだね」
「ごめんなさい。暗くて、おばけが出そうで、怖くて行けなかったんだ。昇子お姉ちゃんが帰って来たら謝らなくちゃ」
しゅーんとなっていた流有十を、サムは優しく慰める。
「流有十君、今夜からは、おれさまが付いていってやるよ」
「ありがとう、玲音お兄ちゃん。大好き♪」
流有十は玲音の胸元にぎゅっと抱きついた。彼は甘えん坊さんのようだ。
「寝小便を垂らしてわぶる流有十さん、いとらうたしです」
伊呂波は我が子を見守るようにその様子を微笑ましく眺めていた。
髪の毛をゴシゴシ擦っている最中だった。
「やっほーショウコイルゥーッ!」
突然そんな声がしたと思ったら、湯船がバシャァァァーッと飛沫を上げ、中から摩偶真が飛び出して来たのだ。
「どっひゃぁぁぁぁぁぁぁーっ!」
昇子はびっくりして思わず仰け反る。もう少しで後ろのタイル壁に後頭部をぶつけるところだった。
「遊びに来ちゃった♪」
摩偶真は舌をぺろりと出して、てへっと笑う。
「もう、摩偶真くんのエッチ。ていうか、どうやって、入って来たの?」
昇子は当然のように驚き顔だ。
「空気中、およそ二〇パーセントを占める酸素に変身してここまで浮遊して来た後、お湯の中に溶け込んでたのだ」
「そっ、そんな能力まで、使えるの?」
昇子は目を大きく見開く。
「うん! 主要五教科五人の中で変身能力を使えるのは、理科のこのオレっちだけなんだよ。えっへん!」
摩偶真は自慢げに、嬉しそうに答える。
「そっ、そうなんだ……っていうか、せめてお○んちんは隠したら」
昇子は摩偶真のあの部分をばっちり見てしまい、照れ笑いしつつ手で目を覆う。
「ショウコイル、オレっち、中一だけどまだ毛が生えてないお子様体型だから全然問題ないでしょ?」
「いやぁ、でも、ちょっと、困るな」
「ショウコイル照れ屋さんだな。じゃあこうするよ。ショウコイル、手ぬぐいであそこ隠したから手をのけてみて」
「ほっ、本当?」
言われるままに、昇子は手をゆっくりと目から離した。
本当に手ぬぐいが摩偶真のあの部分を隠すようにしっかりと巻かれていた。
「どう? 似合う?」
「うっ、うん。それより、どうやって一瞬で?」
「さっきはオレっちの体の一部を手ぬぐいの素材、ポリエステル繊維に変化させたのだ」
「そっ、そういうことかぁ」
「酸素に変身したのもそうだけど、普通はこんなこと化学的に起り得ないでしょ。でもオレっち、物質の化学的性質とか質量保存の法則とかは完全無視して自由自在に変身出来るという設定になってるから。オレっち、当然のようにこんなのにも変身出来るのだ」
そう告げると摩偶真はパッと姿を消して、一辺の長さ三センチくらいの立方体の形をした銀白色の物体へと変化した。そのまま重力に逆らえず湯船の中にポチャンと落下する。
飛沫を上げた次の瞬間、
バチバチバチッ、ポーンッと破裂音を立て湯船から火花も上がった。
「うひゃぁぁぁーっ!」
昇子はさっき以上に大きく仰け反る。
――ゴツンッ!
「いったぁぁぁいーっ」
後頭部を後ろ壁にぶつけてしまった。
「金属ナトリウムに変身してみたよ♪ ナトリウムは原子番号11の、体心立方格子構造を持つアルカリ金属元素でK殻に2個、L殻に8個、M殻に1個の電子があり、イオン化傾向が大きく、電子配置は【1s2、2s2、2p6、3s1】、炎色反応は黄色を示し、水と激しく反応し水素を発生させる性質を持ってるのだ。勉強になったでしょ? 高校化学の範囲もまじってるけど今覚えておいても損はないぜ」
摩偶真は再び元の姿に戻った。
「……ってことは、湯船の中、今、水酸化ナトリウム水溶液になってるんじゃないの?」
「ご名答。ちなみに化学反応式は2Na + 2H20 →2NaOH + H2だよ。浸かったらお肌ぬるぬるになるぜ」
摩偶真は無邪気な笑顔で解説する。
「ご名答じゃないよ、危なくて入れないでしょ」
昇子はかなり困惑した表情を浮かべる。
「変身した量は少なかったし、そんなに濃度は高くないから安全性にはほとんど問題ないんだけどね。ショウコイル気になってるようだから元の状態に戻しておくね」
そう言うと、摩偶真はその水溶液の中にドボォォォーンッと飛び込み瞬く間に姿を消した。
「昇子、やけに騒がしいけど何かあったの?」
母が浴室扉のすぐそばまで迫ってくる。
「なっ、なんでもないよ」
昇子は慌てて返事した。
「昇子、今日帰ってから何か変よ」
母はそう不思議そうに告げて、リビングへと戻っていく。
「ショウコイル、中和しておいたぜ」
摩偶真はまたさっきの姿へ。
「うわっ」
昇子は少しだけ驚く。
「ショウコイル、さっきオレっち、どんな物質に変身したと思う?」
「分かるはずないでしょ」
「化学式HClの塩酸だぜ。NaOH + HCl → NaCl + H20の化学反応式で表されるのだ。中学理科化学分野中和反応における基礎中の基礎知識だから、ちゃんと覚えておかなきゃダメだぞ」
「……わっ、分かった」
「ショウコイルの本名の昇子って、昇汞(しょうこう)と名前がそっくりだから親しみやすいよ」
「昇汞って、何?」
「化学式HgCl2で表される、塩化水銀(Ⅱ)の別称だよ。無色で光沢のある柱状結晶。水やアルコールによく溶けて、極めて有毒で昔はバッテリーや殺虫剤、消毒液、防腐剤としても使われていたのだ」
「そんなのもあるんだね」
「高校化学で習うと思うぜ。ところでショウコイルって、月一回程度、数日に渡って血液が子宮から体外に排出される三次元世界のヒトのメスで言うアノ日はもう来たのかな?」
摩偶真からにやけ顔でされた質問に、
「いや、まだだけど」
昇子はやや苦い表情で即答した。
「やっぱりな。体つきからしてそうじゃないかなぁっと思ったよ」
摩偶真はにこにこ微笑みながら、昇子のすっぽんぽん姿を楽しそうにじーっと眺めてくる。
「もう、摩偶真くん、女の子にそういうこと聞くのは失礼よ」
昇子は照れくさそうに摩偶真の頭をぺチンと叩く。
「すまん、すまん。まあ気にするな。オレっちだって精通まだ来てねえから。そんじゃあショウコイル、オレっち、先にショウコイルのお部屋に戻っておくね」
摩偶真はそう告げてウィンクし、またもパッと姿を消した。
気体の酸素に変身したのかな?
と昇子は推測した。
このお湯、本当に、大丈夫なのかな?
恐る恐る、湯船に手を突っ込んでみる。
いつもの湯加減と変わりなかった。確かに元通りになっていた。
昇子は安心して洗面器にこのお湯を掬い、頭を洗い流す。
その際、昇子の舌にお湯がわずかにかかった。
なんか、少ししょっぱぁい。
昇子は少し顔をしかめる。化学反応によって生成された食塩がちょっぴり含まれていたのだ。
もう一度、冷静に考えてみよう。さっき起きたことって、本当に、現実なの? あり得ないでしょ。男の子と女の子が、テキストから飛び出して来たなんて。
風呂から上がった昇子は脱衣場でパジャマに着替えながら、思い直してみる。
いるわけ、ないよね?
二階に上がると、恐る恐る、部屋の扉を開けてみた。
「おかえりショウコイル」
「昇子君、メスブタ臭かった体が少しはマシになったな」
「昇子さん、入浴時間から推測すると、烏の行水ではなかったようですね」
「昇子お姉ちゃん、ちゃんと百まで数えた?」
「ショウコちゃん、入浴するは英語でtake a bathだよ」
いた。さっきの五人が――彼らの姿が、しっかりと昇子の目に映った。
消していったはずの電気もついていた。
「……あの、私、今日は疲れてるみたいだから、もう寝るね」
昇子は教材キャラ達に向かってこう伝えると電気を消してベッドに上がり、布団にしっかりと潜り込んだ。
「ありゃまっ、もう睡眠状態に入るの? ショウコイル」
「ぼく、昇子お姉ちゃんともっとお話したいのに。でもぼくももう眠いし、寝よう。おやすみ、昇子お姉ちゃん」
「昇子君、おれさま達が三次元化したせいで、急な環境変化に順応出来ず体調崩しちまったのか?」
「そうかもしれませんよ、玲音さん。今宵はゆっくり寝させてあげましょう」
「ショウコちゃん、明日からは本格的に家庭学習指導していくよ。グッナイ!」
こうして教材キャラ達は、それぞれの教科に対応するテキストの中へと飛び込んでいった。
……あれは、幻覚に違いないわ。
昇子はそう思い込むことにした。
☆
真夜中、三時頃。
「ねーえ、昇子お姉ちゃぁん」
どこからか、とろけるような声が聞こえてくる。
「――っ」
昇子はハッと目を覚まし、ガバッと上体を起こした。
「ん?」
瞬間、昇子は妙な気分を味わう。左腕に、何か違和感があったのだ。
「昇子お姉ちゃぁん」
「この、声は?」
昇子は恐る恐るゆっくりと、顔を横に向けてみた。
「うひゃぁっ!」
思わず声を漏らす。彼女のすぐ隣、しかも同じベッド同じ布団の中に、流有十がいたのだ。
「おしっこしたいから、付いて来て、お願ぁい」
頬を赤らめて、昇子の左袖を引っ張りながら照れくさそうに要求してくる。
「あっ、あっ、あの……」
私は今、夢を見ているんだ。きっとそぅだ、それ以外あり得ないでしょ。
昇子は自分自身にこう言い聞かせる。
「昇子お姉ちゃぁん、ぼく、オーバーフローして漏れそう。もう我慢出来ないぃぃぃ」
流有十は今にも泣き出しそうな表情になり、全身をプルプル震わせた。
これは夢だ、これは夢だ、夢に違いないって!
けれども昇子は無視することに決めた。心の中でこう呟いて、再び布団に潜り込む。
ほどなく彼女は二度目の眠りに付いた。
☆ ☆ ☆
朝、七時四〇分頃。
「うひゃあああああああーっ! うっ、嘘でしょ」
萌えショタキャライラスト入り目覚まし時計の、とろけるようなボイスアラームと共に目覚めた昇子は、起き上がった直後に絶叫した。
布団とシーツが、おしっこまみれになっていたのだ。
「こっ、これって……」
昇子は布団とシーツを見下ろす。彼女の着ているパジャマも、おしっこまみれだった。ちょうどズボンの前の部分が黄色いシミになっていた。もちろんにおいも併せて漂う。
どう処理しよう。
冷や汗を流し、深刻そうな表情で悩んでいたその時、
「昇子、どうしたの? 朝からご近所迷惑な大声出して」
「うわっ、マッ、マッ、ママ」
折悪しく、扉が開かれ母が入り込んで来た。
「ん? 何これ? 昇子、ひょっとして、おねしょしたのぉ?」
母は昇子のパジャマズボンをじーっと見つめながら、とてもにこやかな表情で問い詰めてくる。
「ちっ、違う! 断じて違うのママ。これは、真夜中に、小学生の男の子が私の布団に入り込んで来てそれで、その……」
昇子は必死に言い訳しようとする。
「昇子、アニメの世界と現実の世界を混合するんじゃないの」
母はくすっと笑った。
「ほっ、本当なんだって。その、あの教材の中から、飛び出して来て」
昇子は床の上に置かれたそれを指差しながら訴えてみた。
「はいはい、メルヘンチックなこと言ってないで早く着替えなさい。森優ちゃんもうすぐ来ちゃうわよ」
けれどもやはり無駄だった。母はにやにや笑いながら命令する。
「信じてよぉー」
昇子は悲しげな表情を浮かべながらパジャマを脱ぎ、下着も替えた。そして制服に着替え始める。
「それ、貸しなさい」
「いいって、私が持っていくから」
「まあまあ昇子、恥ずかしがらずに」
「あっ!」
あっという間に、パジャマ一式と下着を奪われてしまった。
「早めに洗濯しなきゃ、汚れが落ちにくくなるでしょ」
母は部屋から出て、意気揚々と階段を下りていく。
今、時刻は七時四七分。
まだ大丈夫ね。
昇子がそう思った直後、ピンポーン♪ と玄関チャイムが鳴ってしまった。
「おはようございまーす、昇子ちゃん、おば様。今日は昨晩お祖母ちゃんちから届いたお野菜果物と水羊羹の詰め合わせをお裾分けするために、少し早めに来ちゃいました♪」
いつもより十分ほど早く森優が迎えに来てくれたのだ。しかも森優が玄関扉を開けたのと、母が階段を降り切って玄関前に差し掛かったのとが同じタイミングだった。
「おはよう森優ちゃん、今朝昇子ね。おねしょしちゃったのよ。これ見て♪」
母は嬉しそうに、森優の目の前に黄色く変色し特有のにおいも漂わせていた昇子のパジャマをかざした。
「あらまぁ」
森優は段ボール箱を両手に抱えたままやや前かがみになり、興味深そうにそれをじっーと見つめる。
「わああああああああんっ、えっ、冤罪よぉーっ!」
昇子は半袖ポロシャツに首と袖を通しつつ、慌てて階段を駆け下りながら弁明する。
「昇子ちゃん、恥ずかしがらなくても。たまにはこういうことだってあるよ」
森優は柔和な顔でフォローしてあげた。
「あの、森優ちゃぁん」
知られてしまった昇子は、かなり沈んだ気分になる。
「昇子、早く顔洗って朝ごはん食べて、学校行く準備しなさい」
母は笑いながら命令する。
「わっ、分かったよ」
昇子はしょんぼりとした気分で洗面所へ向かっていった。
こんなことがあったためか、森優と昇子は普段より三分ほど遅れて家を出た。
今日は五月三十日、木曜日。昇子達の通う学校では来週月曜から完全夏服だ。
もし昨日の出来事が本当のことだったら、私はおねしょをしていない。もし夢の中の出来事だったなら、私はおねしょをしたことになっちゃうよぅ。どっちがいいの? この場合。
昇子は俯き加減で歩きながら葛藤する。
「あの、昇子ちゃん。元気出して。おねしょのことはもう忘れちゃおう」
森優に優しく励まされ、
「うん、そうだね」
昇子は穴があったら入りたい気分になった。
「そういえば昨日、教材が届いたんでしょ、学実ちゃんから聞いたよ。あまり良くなかったみたいだね」
「いや、よく確かめたら、使えそうな教材だったよ」
「そうなんだ。よかったね。今度わたしにも見せてーっ」
森優はやや興奮気味に要求してくる。
「いやっ、そっ、それは……そのうち、見せてあげる」
昇子は少し躊躇うも、一応約束してあげた。
「楽しみにしてるよ」
森優はにっこり微笑む。
同じ頃、昇子のお部屋ではサム、流有十、玲音、伊呂波が三次元化して部屋の中央付近に集まっていた。摩偶真だけはまだ教材内で睡眠中だ。
「ルートくん、bedwettingしちゃったんだね」
「ごめんなさい。暗くて、おばけが出そうで、怖くて行けなかったんだ。昇子お姉ちゃんが帰って来たら謝らなくちゃ」
しゅーんとなっていた流有十を、サムは優しく慰める。
「流有十君、今夜からは、おれさまが付いていってやるよ」
「ありがとう、玲音お兄ちゃん。大好き♪」
流有十は玲音の胸元にぎゅっと抱きついた。彼は甘えん坊さんのようだ。
「寝小便を垂らしてわぶる流有十さん、いとらうたしです」
伊呂波は我が子を見守るようにその様子を微笑ましく眺めていた。