闇堕ちしたエリート医師は一途に禁断の果実を希う
「おや珍しい。里帰りなんかしないと言ってませんでしたっけ」
「……雨龍(うりゅう)

 薄暗い病院の廊下をひとり歩いていたところ、前から歩いてきた白衣の青年に声をかけられ天は足を止める。
 目の前にいたのは「春」の従弟だった。天の存在を確認するべくつまらなそうに一瞥し、毒を吐く。

「この病院を継ぐのが嫌で逃げ出した貴女がいまになって戻ってくるとは思いませんでしたよ」
「安心しろ。戻ってきたわけではないさ」

 今日はたまたま休暇が取れたんだ、と息をついて、ふたつ年下の雨龍を見やる。
 赤根雨龍、天の代わりにこの病院の将来を任されてしまった青年は三十歳になったばかり。結婚したとの噂も耳にしないから、未だに独身なのだろう。銀縁の眼鏡としわひとつない白衣を着ていると、年齢よりも老けているように見える。長身の天と並ぶと、彼の方が数センチ高い。
 かつての婚約者でもあった従弟は、天が逃げ出したことを糾弾することもせず、淡々と病院業務に勤しんでいた。無表情な仮面を被って人間観察ばかりしている彼にとって、天みたいな人間は恋愛対象というよりも観察対象のようなものだったのだろう。
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