闇堕ちしたエリート医師は一途に禁断の果実を希う
 むすっとした声で、小手毬が応える。何か気に障ることでも言っただろうか。陸奥は黙り込んでしまった小手毬から目線をそらす。

「陸奥先生、WAIS検査についてですが」

 車椅子を動かしていた看護師が小手毬に聞こえるか聞こえないかのような小声で尋ねる。

「今は必要ない」

 陸奥は言い捨てる。WAIS検査とは、wechsler adult intelligence scaleという最も高度な知能検査のことだ。言語性・動作性の両方をチェックできるWAIS-R検査ともども、高次脳機能障害を立証する際に使われている。小手毬の場合、事故で頭を強打し、受傷していることから、知能障害を起こした可能性が高い。植物状態から奇跡的に意識を取り戻した少女の知的レベルを看護師が知りたがるのも理解できなくはない。
 それでも、陸奥は首を振らない。

「彼女はまだ、意識を取り戻したばかりなんだ。脳波検査とスペクトだけで今は充分」

 小手毬はふたりが何を言い合っているのか気にすることなく、廊下の窓の桟に挟まったまま足をばたつかせているウスバカゲロウを冷静に観察している。

「わかりました」
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