みずいろに焦がれる



 小さい頃から友達は少ない方だった。

 人前に立つと感情を忘れたように笑えなくなる。
 極度の緊張からだ。どうしてもその場で固まってしまう。
 そんな自分が嫌で、誰もいない時にこっそりと鏡の前に立ち表情を作る練習を何度もした。

 友達の作り方を調べた。何冊か本も読んでみた。
 それでもなかなか上手く行かず、占いに頼ったりもした。

 他人から見たら滑稽だったかも知れないけど、その時は一生懸命だった。
 でも、結局はどれも無駄に終わってしまった。

 わたしがこうした悩みを抱えているということは、わたし以外誰も知らない。
 人に打ち明けたくもなかった。

 こんなわたしでも弱い自分を人前に晒したくないというプライドがあったからだ。
 プライドと言えば聞こえはいいけど、実際は薄いガラスで出来たつまらない意地のようなものだった。
 そしてそれは、人間関係の構築の妨げになった。自業自得だ。

 今思えば、何も気にせずその場で全部さらけ出せば良かった。
 人と話すのは苦手だけど、あなたとは仲良くなりたいですと伝えて。

 そうは言ってももう遅い。
 表情が乏しく、何も喋らないわたしの周りからは次第に一人、二人と人がいなくなり、ついには誰もいなくなった。
 今では、もう誰もわたしの話なんて聞いてはくれない。



 昼食は教室の隅で手早く済ます。
 連なった机の上に広げた昼食を食べながら、わいわいと会話を交わす生徒達で溢れる教室内で、わたしの机は一つぽつんと浮いていた。

 いつものことだ。
 不意に顔を上げると、離れた席に座っていた男子と視線がぶつかる。

 彼はわたしとは縁のなさそうな明るい性格の子だ。目が合ったのも偶然だろう。
 でも、なぜか目をそらせない。
 彼からの視線が無性に気になる。
 そして、目をそらさないのは彼も同じだった。

―――もしかしたら、今、自分が思っているよりも悪目立ちしているのかもしれない。
 プライドの格好をした薄いガラスはとっくの昔に割れてなくなっていた。

 できるだけ音を立てずにイスから立ち上がり、こそこそと教室を出る。
 もしも今、あの物語の聖女がわたしのことを見ていたらどう思うんだろう。

 室内に広がる賑やかな笑い声を背負い、一人、足早に図書室へと向かった。

  











 休憩時間の長い昼休みは、図書室で過ごすことが多い。
 ここにはほとんど人がいなくて、いても勉強しているか寝ているかのどちらかだ。

 互いに干渉し合うことなく、適度な距離を保っているこの空間が学校では何より心地が良い。
 肩の力が抜け、軽快に室内を歩く。
 今日も真っ直ぐ児童書コーナーに向かう目的は一つだ。

 図書室の奥、古びた棚に並べられた一冊の分厚い本。
 今朝、家で読んだばかりの大好きな小説がここにもある。
 迷わず指を伸ばしたところで、隣にある本がふと目に入った。

 え、と小さな声が漏れる。

 そこには、わたしの好きな小説とまったく同じタイトルの本が二つ、並んであった。 

 でも驚いた理由はそれじゃない。
 隣にあるその本の背が見慣れた赤色ではなく、雲一つない空のような爽やかな水色をしていたからだ。

 初めて見る。少なくとも、昨日まではここにはなかった。
 本の状態から見て、新刊という訳でもなさそうだ。
 誰かがずっと借りていたんだろうか。
 この本に続編があったとは。
 いや、そもそも続編なのかどうかも分からない。

 物語の最後、聖女が死んで魔王もいなくなりまた世界に平和が戻った。
 ヒロインが死んでしまったから、大円団とまではいかないけど物語は綺麗に終わっている。今まで、そう思っていた。

 数え切れないほど何度も読んでいる大好きな小説だ。
 それなのに、この水色の本の存在をまるで知らなかった。
 一体、いつの間に。どんな内容なんだろう。

 くるくると思考を巡らせながら棚から本を取り出す。
 出てきた表紙には、水色に塗られた背景と騎士が聖女の手を握りしめ、恋人のように仲睦まじく抱き合う姿が描かれていた。

 「これは……?」

 ガタ、と本棚の奥から大きな物音が聞こえ、意識が本から音の方へ移動する。
 今の時間、周辺を見回しても児童書コーナーにはわたし以外誰もいない。少し不気味だ。
 なのにどうしてか音の正体が気になり、恐る恐る本棚の奥へと足を向けた。

 近付くと話し声が聞こえてくる。
 何を喋っているのか内容までは分からないけど、そこで初めて人の気配を感じた。
 誰かいるらしい、そう思った瞬間だった。

 「好きだよ」

 はっきりと聞こえたその声に激しく動揺する。
 聞き馴染みのある、少し掠れた男性の声だ。

 「やだ、本気?」
 「本気」
 「もう」

 くすくす、と女の子が楽しそうに笑っている。

―――だめだ。来なかったら良かった。

 持っていた水色の本が、つるりと手から滑り落ちる。
 しまったと思った時にはもう遅く、次の瞬間には盛大な音を立てた。
 途端に甘ったるい話し声がやみ、しん、と辺りが静まり返る。

 すると本棚の奥から女の子が出てきた。下の学年の子だろうか。見かけない顔だ。
 女の子はとても可愛くてキラキラしているけど、表情は醜く歪んでいる。
 見るからに不機嫌そうだ。その顔でわたしをキッと睨みつけると、女の子は気怠そうに図書室を出て行った。

 床に落ちた本に手を伸ばす。
 視界の端から別の手が伸びて来たからちらりと見上げると、どこかの人気アイドルのような整った顔立ちの彼が目の前にいた。

「り、理央(りお)……」
「いつからいたんだよ、そこに」
「……べつ、に」

 彼の顔をまともに見られず俯く。
 こんな態度を取るのはまずいということは分かっているけど、止められなかった。

 彼は半分投げるような仕草で、荒々しくわたしの手に水色の本を乗せた。
 これが返事だ、とでも言うように。
 わたしのことが嫌いだからだ。
 彼の気持ちは昔から誰よりも知っている。

 彼は二歳下の幼馴染みだ。近所に住んでいて、幼い頃はよく一緒に遊んでいた。
 けれど、なかなか友達ができないと悩んでいた時期に、人とどう接したらいいのかが分からなくなって彼を遠ざけてしまった。

 きっと傷付けてしまったんだと思う。
 なのにわたしはその時すぐに謝れなかった。
 彼と正面から向き合うのが怖かったからだ。

 そこからわたし達の関係は変わってしまった。
 唯一、安心出来る場所が彼のそばだったのに。

 わたし達が仲良く過ごしていたのは、もうずっと前のことだけど、思い出すと今でも胸が苦しくなる。
 あれだけ仲が良かったのに、私が全部壊してしまった。

 わたしにまともな恋愛経験がない、というのは半分本当で半分嘘だ。
 もしもこの気持ちを恋だと認めたら、その瞬間にわたしの失恋が決まってしまう。

 彼はわたしのことが嫌いだ。それに好きな人もいるようだ。
 そしてその相手はとびきり可愛いかった。
 相手がいてもいなくても、わたしには彼の心に入り込む余地なんかないけど。

 だからこれからも絶対に認めない。
 この気持ちは、決して恋じゃない。
 報われない恋なんか知らなくていい。

―――やっぱりわたしは、聖女になんかなれない。







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