人質として嫁いだのに冷徹な皇帝陛下に溺愛されています
イレーナは額からだらだらと冷や汗をかく。
そんなことにかまわず、ヴァルクは脅すように続ける。
「ふたりきりのときは名前で呼べと言っただろう?」
怒りの鉄槌が下されると思っていたイレーナはあらゆることを覚悟していたが、そんな言葉を聞いてあっけらかんとした顔で絶句した。
(え? そっち?)
「嫌なのか? お前は俺の妻なのに、名前で呼んではくれないのか?」
イレーナの脳内は混乱している。
今、目の前にいる男は果たして噂どおりの冷酷非道な皇帝なのだろうか。
「え、ええっと……」
放心状態からやっとのことで声を出すも、うまく言葉にならず。
ヴァルクはイライラしているようだ。
険しい顔つきでイレーナの肩を掴み、間近でじっと見つめてくる。
そして、眉をひそめてひっそりと言うのだ。
「イレーナ、名を呼んでくれ」
「……ヴァルクさま」
「ああ、いい声だ」
ヴァルクはそのままイレーナをぎゅっと抱きしめた。
イレーナの胸中はいろんな思いが交差して、複雑に絡み合っている。
とりあえず、腕をまわして彼の背中をそっと撫でた。
ごつごつした筋肉質の感触に力強さを感じるも、なぜか同時に別の生き物を想像してしまう。
(誰が冷酷非道などと言いましたか? 犬ですか。可愛いですか)