偽る恋のはじめかた
「嗚呼あああああああああああ———」
雄叫びに近い叫び声が耳に響く。声のする方に視線を向けると、桐生課長が目を見開いて、ワタワタと慌てている。
誰が見ても分かる、まるでお手本のような慌てぶりだった。あの慌てようは、ただごとではない。
———この手帳の持ち主は、絶対桐生課長だ。
だって、あの慌てようは・・・・・・間違いない。
「この手帳、桐生課長のですか?」
思わず口角が上がってしまいそうになるのをバレないように、ポーカーフェイスで問いかける。
「中身は・・・・・見た?」
急いで私の元へ駆け寄ってきたかと思えば、よほど動揺しているのか目が地走っている。
「あぁ。見てないですよ(本当は見たけど)」
「はあ。良かったああ」
安心したのか大きな溜息を吐いて、安堵の表情を見せる。
「桐生課長の手帳ってことですか?」
「あぁ」
ハッとしたかのように、緩んだ表情をいつもの無表情に戻した。今までの取り乱しはなかったかのように無表情で右手を差し出す。
差し出された手に向けて、私は手帳を渡そうと右手を伸ばす。
そして、渡す寸前でヒョイっと手帳を持ち上げた。
「お、おい!」
「本当は中身見ちゃいました。桐生課長は無理して俺様上司になろうとしてるんですか?なんでですか?」
私は弱みを握ったことで優越感に満ち溢れ、したり顔で強気に言い放つ。
手帳の中身の意味が理解出来なかったので、その手帳が何を示すのか気になるのも本音だった。
「そ、それは・・・・・」
桐生課長は言葉に詰まって、固まっていた。
数十秒の無言が続く。
ふと、時計を見ると休憩時間が終わっていた。
「あっ、私の休憩時間終わりだ。
3分オーバーしてるけど、見逃してくれますよね?この話は、また後で」
言葉を言い残すと、桐生課長の顔を確認せずに足早にその場を立ち去った。