偽る恋のはじめかた
「おはよう」
「おはようございます」
「おはようございます」
颯爽と爽やかに桐生課長が挨拶をしながら出社してきた。いつもの日常なのに、桐生課長の姿が視界に入ると、余計に心が荒立った。
思わずじーっと見つめてしまった。私に視線を向けた桐生課長と目が合う。
「椎名さん、昨日大丈夫だった?」
他の社員がたくさんいる中で、迷わず声を掛けてきた。昨日先に抜けた2人がヒソヒソと噂話されるとか考えないのだろうか。予想通りに好奇の目を向けられている。
「桐生課長、昨日はタクシーで家の前まで乗せていただき、ありがとうございました。なんとか、自分の力で帰ることができました」
「え?椎名さん、それって・・・・・・」
わざと他の社員にも聞こえる音量に声のボリュームを上げた。「桐生課長に送ってもらったけど、部屋には上げてませんよ」というメッセージを会話の節々に込めた。残念ながら桐生課長にはその意図が伝わらなかったらしく、私の言った言葉の意味を理解できず首を傾げている。
このままだと、桐生課長の口から私の部屋に上がったことを、悪びれずにみんなの前で言ってしまうかもしれない。上手くすり抜けるには・・・・・・。
みんなの視線が突き刺さる中、必死に考えていた。
「いやー、昨日楽しかったすね?鈴木さんとか酔っ払いすぎて何言ってたか分からなかったけど」
「えぇ?俺そんな酔ってた?」
「酔ってましたよ。正直、だるかったすよ」
「あははは」
助け舟の声を上げてくれたのは黒須君だった。
私と桐生課長に野次馬心で注目していた社員に話振ってくれたおかげで、部署の空気はガラッと変わった。
私と桐生課長に向けられていた視線は、話の中心にいる黒須君に向けられて、昨日の飲み会の話でわいわいと盛り上がっている。黒須君のおかげで危機から解放された。