殺し合う家族
第十一話 足りないもの
何を馬鹿な、あの裕福な家庭が、都内の高級マンションに住むあの夫婦が、千葉の田舎にほったて小屋しか建てられない貧困ファミリーからなんの財産を奪おうと言うのか、これも何かの作戦か。
「美しい容姿に恵まれて、素敵な旦那さまを捕まえて、その旦那の金でおままごとみたいなお店を出して一端の経営者気取り。誰もが羨むセレブ生活に唯一足りない物。幸せな家庭に欠かせないたった一つの物があの家にはない」
順平は数秒思考を巡らせて答えた。
「子供……か?」
「ええ、あの夫婦の狙いは私たちの娘よ」
妻の推察では、まず白井直也が自分に近づき信頼を得たところで妻の殺害を持ちかける、合意したところで、例え本気じゃないにしてもそんな計画を立てている所を録音、撮影する。タイミングをみて妹の麻里奈が姉に計画をたまたま知ったと相談、返り討ちにするように仕向ける。疑心暗鬼になった夫婦が一つ屋根の下で暮らしていれば、いずれ恐怖で精神がおかしくなってくる。
「あたし達が殺し合いをすればベスト」
どちらかが相手を殺せば一人は死亡、残った方は刑務所行き。残された娘達を裕福な妹夫婦が引き取ることに異論を唱える人間はいない、と、まるで名探偵の推理のようにスラスラと妻は述べた。
「そんな、そんな上手く行くかなぁ」
緊張で声が上擦る、震える歯がワイングラスにあたりカチカチと音を鳴らした。
「ええ、だからそれはあくまでベスト、無理筋と判断すれば別の一手を打ってくるはず」
頭が混乱して整理できない、確かに妻の言っていることは一見筋が通っているように感じる。しかし、それが確実なんて証拠はない。それに白井が自分を騙していたなんて考えられない。そうだとしたら宏美は、彼女もグルなのか。そんなわけない。
「返り討ちにして財産根こそぎ奪ってやるわ」
そう言って不敵な笑みを浮かべる妻の横顔が順平には悪魔のように見えて戦慄した、そして自分はこの先どうすれば良いのか分からずに、とりあえずワイングラスを一気に煽った。
気がつくとリビングのソファで眠ってしまっていた。うっすらと明るくなった窓が一日の始まりを告げていたが、体を起こすと頭がズキズキと痛んだ、二日酔いだろう。順平はノロノロと立ち上がるとキッチンに入り蛇口を捻る、シンクに置きっぱなしのワイングラスをゆすいで水を注ぐと一気に飲み干した。
「プハー」
カラカラの喉が潤い全身に水が行き渡ると少し楽になった。汗ばんだ体に不快感を覚えて風呂場に向かう、すっかり冷たくなった湯船を追い焚きしてから服を脱ぎ捨てた、熱めに設定したシャワーを頭から浴びるとだんだん記憶が蘇ってくる。
返り討ちにして財産根こそぎ奪ってやるわ――。
どうやら夢でも幻でもなく現実のようだ。シャンプーをしてから入念に体を洗う。宏美と付き合いだしてからは体の隅々まで念入りに洗う習慣がついた、いつそんな場面を迎えても良いように。
洗い終えるころには湯船はすっかり温まっている、シャワーを止めて飛び込むと頭まで沈めてから浮上した。顔をバシャバシャと洗い「ふぃ」と一息つく。
スッキリしたところで情報整理にとりかかった、そもそもの始まりは白井直也が連絡してきた一年前に遡る。
親戚同士たまには一杯やりませんか――。
不自然だと言われたらそうかもしれない、しかし、妻の愚痴や相談をするには自分ほど適役がいないのも事実で、実際に白井も楽しそうにしていた。あれが全て演技だとしたら彼は俳優としても成功するだろう。
もう殺しませんか――。
一方で白井の殺意に関しては若干の疑問が残るのも確かだ、彼は家事もしないでわがまま放題の妻に愛想を尽かした、しかし離婚に応じてもらえない、だから殺す。いくらなんでも短絡的だし殺害動機としては弱いのではないか。
もう一度、頭まで湯船につかり数秒で浮上した。
どうやら勘づかれました――。
昨日の白井の話を信用するならば、浮気を疑った白井の妻がパソコンの検索履歴から自分を殺そうとしていると思い至る。怖くなった彼女は探偵を雇い順平たちの計画を知るが、憤慨した彼女は返り討ちにしようと理沙に相談。白井はそれらをスマートフォンに仕込んだ盗聴アプリで知る事となり順平に報告した。
ところが理沙が言うにはそれはフェイク、子供がいない白井家はなんとしても手に入れたかった。そこで姉夫婦の娘を奪い取ることを思いつく。両親が何らかの理由でいなくなれば妹夫婦が引き取ることになるのは確かに自然な流れに思えたが。しかし。
何かが引っかかる――。
それが何かは分からない、ただ一つだけ確実なのは誰かが嘘を付いている。白井か、白井の妻か、理沙か。
とはいえ自分には選択肢が二つしかない、白井につくか、理沙につくか。
白井が本当のことを言っていて、彼と共に作戦を完遂できたとする。二人の妻は死亡、子供たちは親戚にでも預けて順平は宏美と幸せな家庭を、白井は晴れて自由の身。うん、これは理想的だ。
しかし、もし彼が嘘、つまり自分を騙そうとしているとすれば。自分、もしくは理沙は殺されるか刑務所行きで、娘たちは白井家に引き取られる。では理沙の話を信用して白井家をうまく返り討ちにするとしよう。方法は不明だが多額の財産が流れ込んでくる。汲々とした生活は一変、薔薇色のセレブ生活が訪れる。
「あれ?」
思わず声が出てしまう、だめだ。それだと離婚できないし宏美と一緒にもなれない。そう言えば昨夜の話に順平の浮気の話は出なかった。ボイスレコーダーを聞く限りでは妻は知っているはずなのに……。
いやいやいや、そもそも宏美が白井の仕込みだったらそんな夢は露と消える。だったら離婚できないにしてもセレブ生活を送れた方がいい。
「くそっ!」
誰だ、誰を信用すればいい。
順平は湯船を飛び出して洗面所に置いてあるスマートフォンを取ると、再び湯船に戻った。ラインを起動して宏美にメッセージを送る。まだ寝ているだろうが我慢できなかった。
『今日逢いたい、頼む、おかしくなりそうだ』
それだけ打ち込んで送信するとアプリを閉じて祈った。
神様お願いします、宏美は、彼女だけは自分を裏切りませんように――。
「美しい容姿に恵まれて、素敵な旦那さまを捕まえて、その旦那の金でおままごとみたいなお店を出して一端の経営者気取り。誰もが羨むセレブ生活に唯一足りない物。幸せな家庭に欠かせないたった一つの物があの家にはない」
順平は数秒思考を巡らせて答えた。
「子供……か?」
「ええ、あの夫婦の狙いは私たちの娘よ」
妻の推察では、まず白井直也が自分に近づき信頼を得たところで妻の殺害を持ちかける、合意したところで、例え本気じゃないにしてもそんな計画を立てている所を録音、撮影する。タイミングをみて妹の麻里奈が姉に計画をたまたま知ったと相談、返り討ちにするように仕向ける。疑心暗鬼になった夫婦が一つ屋根の下で暮らしていれば、いずれ恐怖で精神がおかしくなってくる。
「あたし達が殺し合いをすればベスト」
どちらかが相手を殺せば一人は死亡、残った方は刑務所行き。残された娘達を裕福な妹夫婦が引き取ることに異論を唱える人間はいない、と、まるで名探偵の推理のようにスラスラと妻は述べた。
「そんな、そんな上手く行くかなぁ」
緊張で声が上擦る、震える歯がワイングラスにあたりカチカチと音を鳴らした。
「ええ、だからそれはあくまでベスト、無理筋と判断すれば別の一手を打ってくるはず」
頭が混乱して整理できない、確かに妻の言っていることは一見筋が通っているように感じる。しかし、それが確実なんて証拠はない。それに白井が自分を騙していたなんて考えられない。そうだとしたら宏美は、彼女もグルなのか。そんなわけない。
「返り討ちにして財産根こそぎ奪ってやるわ」
そう言って不敵な笑みを浮かべる妻の横顔が順平には悪魔のように見えて戦慄した、そして自分はこの先どうすれば良いのか分からずに、とりあえずワイングラスを一気に煽った。
気がつくとリビングのソファで眠ってしまっていた。うっすらと明るくなった窓が一日の始まりを告げていたが、体を起こすと頭がズキズキと痛んだ、二日酔いだろう。順平はノロノロと立ち上がるとキッチンに入り蛇口を捻る、シンクに置きっぱなしのワイングラスをゆすいで水を注ぐと一気に飲み干した。
「プハー」
カラカラの喉が潤い全身に水が行き渡ると少し楽になった。汗ばんだ体に不快感を覚えて風呂場に向かう、すっかり冷たくなった湯船を追い焚きしてから服を脱ぎ捨てた、熱めに設定したシャワーを頭から浴びるとだんだん記憶が蘇ってくる。
返り討ちにして財産根こそぎ奪ってやるわ――。
どうやら夢でも幻でもなく現実のようだ。シャンプーをしてから入念に体を洗う。宏美と付き合いだしてからは体の隅々まで念入りに洗う習慣がついた、いつそんな場面を迎えても良いように。
洗い終えるころには湯船はすっかり温まっている、シャワーを止めて飛び込むと頭まで沈めてから浮上した。顔をバシャバシャと洗い「ふぃ」と一息つく。
スッキリしたところで情報整理にとりかかった、そもそもの始まりは白井直也が連絡してきた一年前に遡る。
親戚同士たまには一杯やりませんか――。
不自然だと言われたらそうかもしれない、しかし、妻の愚痴や相談をするには自分ほど適役がいないのも事実で、実際に白井も楽しそうにしていた。あれが全て演技だとしたら彼は俳優としても成功するだろう。
もう殺しませんか――。
一方で白井の殺意に関しては若干の疑問が残るのも確かだ、彼は家事もしないでわがまま放題の妻に愛想を尽かした、しかし離婚に応じてもらえない、だから殺す。いくらなんでも短絡的だし殺害動機としては弱いのではないか。
もう一度、頭まで湯船につかり数秒で浮上した。
どうやら勘づかれました――。
昨日の白井の話を信用するならば、浮気を疑った白井の妻がパソコンの検索履歴から自分を殺そうとしていると思い至る。怖くなった彼女は探偵を雇い順平たちの計画を知るが、憤慨した彼女は返り討ちにしようと理沙に相談。白井はそれらをスマートフォンに仕込んだ盗聴アプリで知る事となり順平に報告した。
ところが理沙が言うにはそれはフェイク、子供がいない白井家はなんとしても手に入れたかった。そこで姉夫婦の娘を奪い取ることを思いつく。両親が何らかの理由でいなくなれば妹夫婦が引き取ることになるのは確かに自然な流れに思えたが。しかし。
何かが引っかかる――。
それが何かは分からない、ただ一つだけ確実なのは誰かが嘘を付いている。白井か、白井の妻か、理沙か。
とはいえ自分には選択肢が二つしかない、白井につくか、理沙につくか。
白井が本当のことを言っていて、彼と共に作戦を完遂できたとする。二人の妻は死亡、子供たちは親戚にでも預けて順平は宏美と幸せな家庭を、白井は晴れて自由の身。うん、これは理想的だ。
しかし、もし彼が嘘、つまり自分を騙そうとしているとすれば。自分、もしくは理沙は殺されるか刑務所行きで、娘たちは白井家に引き取られる。では理沙の話を信用して白井家をうまく返り討ちにするとしよう。方法は不明だが多額の財産が流れ込んでくる。汲々とした生活は一変、薔薇色のセレブ生活が訪れる。
「あれ?」
思わず声が出てしまう、だめだ。それだと離婚できないし宏美と一緒にもなれない。そう言えば昨夜の話に順平の浮気の話は出なかった。ボイスレコーダーを聞く限りでは妻は知っているはずなのに……。
いやいやいや、そもそも宏美が白井の仕込みだったらそんな夢は露と消える。だったら離婚できないにしてもセレブ生活を送れた方がいい。
「くそっ!」
誰だ、誰を信用すればいい。
順平は湯船を飛び出して洗面所に置いてあるスマートフォンを取ると、再び湯船に戻った。ラインを起動して宏美にメッセージを送る。まだ寝ているだろうが我慢できなかった。
『今日逢いたい、頼む、おかしくなりそうだ』
それだけ打ち込んで送信するとアプリを閉じて祈った。
神様お願いします、宏美は、彼女だけは自分を裏切りませんように――。