殺し合う家族
第十六話 死の温泉旅行
関越自動車道をひた走り、渋川伊香保インターで降りると都会の雑多なビル群は見る影もなくなり田舎の田園風景が広がっていた。
「大丈夫でしょうか?」
白井に問いかけると、順平はじっとりと汗ばんだ手をズボンで拭い、ハンドルを握りなおした。
「今回の旅行で動いてくる事はないと思います、あくまでも両家の親交を深めて、後々動きやすくするのが目的でしょう」
夏休みを利用して白井家が所有する草津のリゾートマンションに行こう、と言い出したのは白井の嫁である麻里奈だった。理沙と娘たちが賛同すれば順平に拒否権など存在しない。先日のメイドモンスター事件から妻とは一言も喋っていないが、いまだに彼女が何をしたかったのかは不明だった。
広い直線道路でアクセルを目一杯踏み込むが、やかましいエンジン音の割にスピードは全然出ない。新田家の軽自動車は五人乗り、しかし娘たちはこぞって白井が所有するポルシェの高級SUVをえらんだ。さぞや乗り心地も良いだろう。すでに遥か前方を走っていてその姿はもう確認することができない。
「しかし、どうしてひろ、いや荒川さんまで一緒なんですか?」
白井のポルシェを運転しているのは宏美だった、その助手席に白井の嫁である麻里奈が座り、広い後部座席に理沙と娘三人が座っている。なんとも奇妙な取り合わせだった。
「僕、高速道路の運転ができないんですよ」
「へ?」
「妻は免許がありませんし、運転手を頼める社員が彼女しかいなくて、いや、申し訳ない」
普段からほとんど車に乗らない白井はいつからか高速道路を運転するのが怖くなり、しまいには運転自体を放棄するようになったと言う。港区のタワマンについている駐車場代がいくらかは知らないが、少なくとも新田家を賃貸に出した時の賃料よりも高いであろう事は容易に想像できた。
「いや、まあ、それは仕方ないですね」
宏美をストーキングした挙句に、プロポーズしてからは一度も会っていなかった。彼女からは頻繁に連絡があり、会いたい旨を伝えてきたが、のらりくらりと交わしていた。
誰を信用していいか分からない、そんな中途半端な精神状態のまま今回の旅行に突入した順平は不安しかなかった。
「チャンスがあれば殺しましょう、夏の草津はあまり観光客もいなくて人目につきにくい」
そう呟いた白井をチラッと横目で確認する、真っ直ぐフロントガラスを凝視したまま微動だにしない姿からは真意を推しはかるのが難しい。とは言え。
白井が本当に嫁殺しを決行すれば、白井は白。順平を騙していた、あるいはただの勘違いをしていたのは理沙となる。宏美に関しては五分五分だが、それもすぐに判明するだろう。
逆に白井が黒ならば、今回の旅行で順平と理沙を殺しにくる可能性は大。理沙の読み通り残された娘たちを回収してハッピーエンド。しかし、その場合、宏美は邪魔にならないだろうか。犯行が露見すれば彼らは逮捕されてしまう。
もしくは宏美が買収されている。シンプルに白井から金で雇われて順平を口説き落とし、安心させた所で白井夫妻と協力して完全犯罪を目論む。白井は娘たちを、宏美は大金をせしめてお互いにウィンウィン。
いくら考えても分からずに、目的地である草津温泉は着々と近づいてくる。こんな事なら理沙ともう少し作戦を立てておけば良かったと今更ながら後悔する。しかし彼女の奇行、あまりの不気味さに思わず暴言を吐いてしまった。
「白井さんはどうして――」
どうして嫁をそこまで殺したいんですか、家事をしないくらいじゃ動機として弱くありませんか。と、聞こうとしてやめた。こちらが疑っていると勘づかれたくない、誰も信用していない事が自分の唯一のアドバンテージだ。
「え?」
「あ、いえ、白井さんは今回の計画が上手くいったらどうされるんですか?」
無理矢理話を変えたが白井は特段怪しむ様子もなく答えた。
「会社を売って、マンションも引き払います、一人旅にでも出たいですね、ゆっくりと」
会社を売る、という行為が順平にはあまりピンとこなかったが、六本木ヒルズにある会社を売ればさぞや大金になるんだろうな、と、漠然と思い描いた。そして、白井のその発言はなぜかストンと順平の胸に収まった。彼が本気でそうしたい、そう思っているように感じた。
直線道路をナビに従って左折する、道幅は急に狭くなり山道へと入っていった。前にも後ろにも車はない、スキーやスノーボードができる冬に比べて夏は観光客があまりいないのかもしれない。東京と違い至るところに監視カメラが設置されているなんて事もないだろう、そう考えると確かに白井の言うとおり、完全犯罪のチャンスがあるかも知れなかった。
「はい、もしもし」
助手席に座る白井がガラケーを耳に当てた、順平がカーステレオのボリュームをしぼると無言で会釈した。
「はやいね、鍵? 君に預けたろ、ああ、先に入ってて」
最近ではめっきり見ない二つ折りの携帯電話を閉じると、エアコンの前に取り付けてあるドリンクホルダーにさした。
「もう、ついたんですか?」
順平がナビの到着時間を確認するとまだあと三十分はかかると表示されている。
「みたいですね、相当とばしたようだ、いっそのこと交通事故でもおこして、上手いこと妻だけ死んでくれたら万々歳なんですがね」
冗談だか本気だか分からないトーンで白井は呟いた。カーステレオのボリュームを戻すとサザンオールスターズが流れてくる、季節はともかく向かっている場所も目的もサザンの楽曲とはほど遠く、もっと言えば年代だって世代ではなかったがなぜか夏は車の中で聞いてしまう。
「リゾートマンションって言うのは?」
別荘とは違うのだろうか、金持ちが所有するものに興味もなかったが、三時間も男二人で密室にいると話も尽きてくる。
「税金対策ですよ、買ったもののほとんど使いません」
望んだ答えではなかったが「なるほど」と相槌をうった。山を越えるとチラホラと小屋や、土産屋が通り道に見えてくる。直進すると草津名物の湯畑、その看板をナビに従い左に曲がる。急な登り坂を上がっていくと突然巨大な建造物が現れる。
「ここですね」
白井の指示に従い、車を駐車スペースに入れた。広大な駐車場にはポツポツと数台の高級車が停まっているだけで黄色ナンバーの軽自動車は他になかった。
三時間強のドライブを終えて車を降りると、八月とは思えない涼しい風が頬を撫でた、思い切り深呼吸すると、都会では味わえない新鮮な空気が肺に送り込まれる。
「涼しいですねえ」
思いのほかテンションがあがり、白井に話しかけた。
「ええ、それと温泉しかないところですから」
行きましょうか、と先を促されて築年数も浅そうな綺麗な建物に入っていく。マンションと言っていたがオートロックのエントランスを入るとホテルのように受付カウンターがあり、スタッフらしき男女がこちらを見て微笑んだ。
「1801号室の白井です、妻が先に来ていると思いますが」
白井がスタッフに声をかけると「ええ、先ほどいらっしゃいました」と一番年長と見られるスタッフが答えた。
お荷物お部屋までお持ちいたします、と言った若いスタッフに白井が軽く手で制するとエレベーターホールに向かって歩きだす。順平はいそいで後を追いかけた。
「マンションていうかホテルみたいですね」
後ろを振り返ると先ほどのスタッフたちは、まだ笑顔を貼り付けたままでこちらを見ていた。
「三人もコンシェルジュが必要とは思えませんがね」
確かに、駐車場に停まっている車の台数から考えても、三人はいらないだろう。
六台並ぶエレベーターの真ん中の扉が開く、奥はガラス張りになっていて上昇すると、草津の街並みが見下ろせた。これから二泊三日、この街で過ごすことになるのだが、はたして無事に家に帰ることができるのだろうか。
「順平さん、気を引き締めていきましょう」
まっすぐ正面を向いたまま白井が呟く、同時にエレベーターの扉が最上階に到着して「チーン」と安っぽい音を立てて扉が開いた。まるでそれが試合開始の合図のように順平の耳に響き渡った。
「大丈夫でしょうか?」
白井に問いかけると、順平はじっとりと汗ばんだ手をズボンで拭い、ハンドルを握りなおした。
「今回の旅行で動いてくる事はないと思います、あくまでも両家の親交を深めて、後々動きやすくするのが目的でしょう」
夏休みを利用して白井家が所有する草津のリゾートマンションに行こう、と言い出したのは白井の嫁である麻里奈だった。理沙と娘たちが賛同すれば順平に拒否権など存在しない。先日のメイドモンスター事件から妻とは一言も喋っていないが、いまだに彼女が何をしたかったのかは不明だった。
広い直線道路でアクセルを目一杯踏み込むが、やかましいエンジン音の割にスピードは全然出ない。新田家の軽自動車は五人乗り、しかし娘たちはこぞって白井が所有するポルシェの高級SUVをえらんだ。さぞや乗り心地も良いだろう。すでに遥か前方を走っていてその姿はもう確認することができない。
「しかし、どうしてひろ、いや荒川さんまで一緒なんですか?」
白井のポルシェを運転しているのは宏美だった、その助手席に白井の嫁である麻里奈が座り、広い後部座席に理沙と娘三人が座っている。なんとも奇妙な取り合わせだった。
「僕、高速道路の運転ができないんですよ」
「へ?」
「妻は免許がありませんし、運転手を頼める社員が彼女しかいなくて、いや、申し訳ない」
普段からほとんど車に乗らない白井はいつからか高速道路を運転するのが怖くなり、しまいには運転自体を放棄するようになったと言う。港区のタワマンについている駐車場代がいくらかは知らないが、少なくとも新田家を賃貸に出した時の賃料よりも高いであろう事は容易に想像できた。
「いや、まあ、それは仕方ないですね」
宏美をストーキングした挙句に、プロポーズしてからは一度も会っていなかった。彼女からは頻繁に連絡があり、会いたい旨を伝えてきたが、のらりくらりと交わしていた。
誰を信用していいか分からない、そんな中途半端な精神状態のまま今回の旅行に突入した順平は不安しかなかった。
「チャンスがあれば殺しましょう、夏の草津はあまり観光客もいなくて人目につきにくい」
そう呟いた白井をチラッと横目で確認する、真っ直ぐフロントガラスを凝視したまま微動だにしない姿からは真意を推しはかるのが難しい。とは言え。
白井が本当に嫁殺しを決行すれば、白井は白。順平を騙していた、あるいはただの勘違いをしていたのは理沙となる。宏美に関しては五分五分だが、それもすぐに判明するだろう。
逆に白井が黒ならば、今回の旅行で順平と理沙を殺しにくる可能性は大。理沙の読み通り残された娘たちを回収してハッピーエンド。しかし、その場合、宏美は邪魔にならないだろうか。犯行が露見すれば彼らは逮捕されてしまう。
もしくは宏美が買収されている。シンプルに白井から金で雇われて順平を口説き落とし、安心させた所で白井夫妻と協力して完全犯罪を目論む。白井は娘たちを、宏美は大金をせしめてお互いにウィンウィン。
いくら考えても分からずに、目的地である草津温泉は着々と近づいてくる。こんな事なら理沙ともう少し作戦を立てておけば良かったと今更ながら後悔する。しかし彼女の奇行、あまりの不気味さに思わず暴言を吐いてしまった。
「白井さんはどうして――」
どうして嫁をそこまで殺したいんですか、家事をしないくらいじゃ動機として弱くありませんか。と、聞こうとしてやめた。こちらが疑っていると勘づかれたくない、誰も信用していない事が自分の唯一のアドバンテージだ。
「え?」
「あ、いえ、白井さんは今回の計画が上手くいったらどうされるんですか?」
無理矢理話を変えたが白井は特段怪しむ様子もなく答えた。
「会社を売って、マンションも引き払います、一人旅にでも出たいですね、ゆっくりと」
会社を売る、という行為が順平にはあまりピンとこなかったが、六本木ヒルズにある会社を売ればさぞや大金になるんだろうな、と、漠然と思い描いた。そして、白井のその発言はなぜかストンと順平の胸に収まった。彼が本気でそうしたい、そう思っているように感じた。
直線道路をナビに従って左折する、道幅は急に狭くなり山道へと入っていった。前にも後ろにも車はない、スキーやスノーボードができる冬に比べて夏は観光客があまりいないのかもしれない。東京と違い至るところに監視カメラが設置されているなんて事もないだろう、そう考えると確かに白井の言うとおり、完全犯罪のチャンスがあるかも知れなかった。
「はい、もしもし」
助手席に座る白井がガラケーを耳に当てた、順平がカーステレオのボリュームをしぼると無言で会釈した。
「はやいね、鍵? 君に預けたろ、ああ、先に入ってて」
最近ではめっきり見ない二つ折りの携帯電話を閉じると、エアコンの前に取り付けてあるドリンクホルダーにさした。
「もう、ついたんですか?」
順平がナビの到着時間を確認するとまだあと三十分はかかると表示されている。
「みたいですね、相当とばしたようだ、いっそのこと交通事故でもおこして、上手いこと妻だけ死んでくれたら万々歳なんですがね」
冗談だか本気だか分からないトーンで白井は呟いた。カーステレオのボリュームを戻すとサザンオールスターズが流れてくる、季節はともかく向かっている場所も目的もサザンの楽曲とはほど遠く、もっと言えば年代だって世代ではなかったがなぜか夏は車の中で聞いてしまう。
「リゾートマンションって言うのは?」
別荘とは違うのだろうか、金持ちが所有するものに興味もなかったが、三時間も男二人で密室にいると話も尽きてくる。
「税金対策ですよ、買ったもののほとんど使いません」
望んだ答えではなかったが「なるほど」と相槌をうった。山を越えるとチラホラと小屋や、土産屋が通り道に見えてくる。直進すると草津名物の湯畑、その看板をナビに従い左に曲がる。急な登り坂を上がっていくと突然巨大な建造物が現れる。
「ここですね」
白井の指示に従い、車を駐車スペースに入れた。広大な駐車場にはポツポツと数台の高級車が停まっているだけで黄色ナンバーの軽自動車は他になかった。
三時間強のドライブを終えて車を降りると、八月とは思えない涼しい風が頬を撫でた、思い切り深呼吸すると、都会では味わえない新鮮な空気が肺に送り込まれる。
「涼しいですねえ」
思いのほかテンションがあがり、白井に話しかけた。
「ええ、それと温泉しかないところですから」
行きましょうか、と先を促されて築年数も浅そうな綺麗な建物に入っていく。マンションと言っていたがオートロックのエントランスを入るとホテルのように受付カウンターがあり、スタッフらしき男女がこちらを見て微笑んだ。
「1801号室の白井です、妻が先に来ていると思いますが」
白井がスタッフに声をかけると「ええ、先ほどいらっしゃいました」と一番年長と見られるスタッフが答えた。
お荷物お部屋までお持ちいたします、と言った若いスタッフに白井が軽く手で制するとエレベーターホールに向かって歩きだす。順平はいそいで後を追いかけた。
「マンションていうかホテルみたいですね」
後ろを振り返ると先ほどのスタッフたちは、まだ笑顔を貼り付けたままでこちらを見ていた。
「三人もコンシェルジュが必要とは思えませんがね」
確かに、駐車場に停まっている車の台数から考えても、三人はいらないだろう。
六台並ぶエレベーターの真ん中の扉が開く、奥はガラス張りになっていて上昇すると、草津の街並みが見下ろせた。これから二泊三日、この街で過ごすことになるのだが、はたして無事に家に帰ることができるのだろうか。
「順平さん、気を引き締めていきましょう」
まっすぐ正面を向いたまま白井が呟く、同時にエレベーターの扉が最上階に到着して「チーン」と安っぽい音を立てて扉が開いた。まるでそれが試合開始の合図のように順平の耳に響き渡った。