殺し合う家族
第二十三話 殺し合う家族②
相変わらずガラガラな大浴場の脱衣場で服を脱いで全裸になる。鏡に映る抜群のプロポーションを見て悦に浸る。長い髪をアップにしてのんびりと湯に浸かっていると不意に重大な事を思い出した。
非常呼び出しボタン――。
具合が悪くなった時のためにサウナ室内に設置してあるボタンの存在に姉は気がつくだろうか、たしか入り口付近の目立たない場所に付いていたはずだ。
「チッ」
余計な設備をつけやがる、サウナで具合が悪くなるような馬鹿は最初から入るな。しかし、まずい。理沙が無事に帰還すれば、自分が閉じ込めたことが露見してしまう。
「ごめーん、イタズラだったのぉ」
甲高い声を出して練習すると、風呂場内に不気味に反響した。まあ、サウナに閉じ込めるくらいのイタズラは別に問題ないだろう。しかし、これで奴が生還する可能性が出てきてしまった。まあいい、殺すチャンスはいくらでもある。
「クククッ」
しかし、閉じ込められたと分かった時の理沙の顔は傑作だった、小窓越しにも焦燥感が漂っていた。人間は騙されたり、裏切られた時に必ずあの顔になる。今までもそうだった。
その中でも直也の兄、寿也は最高だった。蕎麦茶をごくごくと、喉を鳴らして飲み干すと「カッ」と目を見開いて自分を見つめた。あの時の顔、忘れられない。
――寿也の弟って、あの白井直也なんだって。
暇つぶしで参加した中学校の同窓会でそんな話題があがった。新進気鋭の青年実業家、世界が注目する若手百選。そんな異次元の肩書がある弟を持つようには到底見えなかったが、念のため寿也とは連絡先を交換した。
すぐに白井直也を調べた、インターネットには天才を小説にしたような経歴が並ぶ。その中に雑誌インタビューに答えた時の写真があった。スラリと細身の高身長、涼しげな目元が最高にクールだった。
ああ、この人だ。
私に相応しいのはまさに白井直也のような人間だと信じて疑わなかった。さっそく寿也に連絡して兄との橋渡しを申し込むが、その返答はにべもなかった。
「他の女子にも頼まれたんだ、けど、あいつ女には興味ない、断ってくれって」
他の女子と私を同列にするな、思わず怒鳴り声を張り上げそうになるがなんとか堪えた。今のところ直也との接点はこの男しかいない。こんなレベルの男に頼み事をするだけでも業腹だったが、もう一度頼んで欲しいと言って次の報告を待った。
「会う気はないって」
結局、直也の返答は変わらなかった。
「そっか、ごめんね無理言って。それより寿也くんて今彼女とかいるの?」
一瞬で作戦を切り替えた、会ってしまえば必ず落とせる。その為にはまずこの男を懐柔しなければならない。そんな答えが導き出されてからは早かった。何度か寿也とデートを重ねると案の定、寿也はメロメロになった。当然だろう。高嶺の花なんてレベルじゃない。
有名な広告代理店で働く寿也は思ったよりかなり優秀な人間だったが、直也とは比べものにならなかった。決して自分から直也に会いたいなどと言わなかった、あくまでも自然な出会い、兄の彼女を好きになってしまう禁断の恋。そんなストーリーを思い描いた。
「結婚してくれないか」
退屈なプロポーズにあくびが出そうになった、付き合って半年。少し思わせぶりが過ぎたか、もしくは早く既成事実を手に入れて、他への流出を防ぎたかったか。いずれにせよ結婚なんてするわけがなかった。
ちょっとまだはや――。
と言いかけて脳内がフルスピードで回転し始めた。この半年で直也に会えるようなチャンスは皆無、これからだって保証などない。チンタラしていたら年だけ無駄にとってしまう。
婚約となれば、親、兄弟の顔合わせで確実に会うことが出来るのではないか。婚姻届さえ出さなければいつでもバックれる事ができる。一度でも会えれば何とかなる。私に惚れない男など存在しない。
「うん、いいよ」
寿也はその場で狂喜乱舞して喜んだ、薬指にはめられた指輪を眺めながら次の作戦を考えた。
芝浦にある高級料亭で白井家の両親と寿也、お目当ての直也が並んで座っていた。初めて生でみた直也は写真よりも数倍いい男だった。寡黙であまり話さず、かと言ってブスッとしている訳じゃない。主役の兄を立てる優しい弟、麻里奈はますます自分のものにしたくなった。
「美しいお嬢さんでびっくりしましたよ」
寿也の、いや、直也の父親はロマンスグレーのナイスミドルだった。間違いなく直也は父親似。いたって普通、さして特徴のない母親に寿也は似たのだろう。
タッチの差、横で愛想笑いする姉を見て感慨深くなる。二分の一の確率を引けないだけで人生は大きく変わる、特に女はその効果が顕著に現れてしまう。ブスに明るい未来などないのだ。
「そんなことありません、でも、ありがとうございます」
殊勝に振る舞い横目で直也をチェックする、変わらず寡黙に。淡々と料理を口に運んでいるが、内心では良い女だな、やりてえなぁ、などと考えているに違いない。
これは二枚目だろうが不細工だろうが、金持ちだろうが貧乏だろうが同じ。美しい女を抱きたいというのはオスの共有認識。本能なのだ。その抗うことが出来ない芯の部分に私は訴えかける。騙されるのも道理だろう。
食事が一通り終わり、中庭で記念撮影をした。
「寿也さんのお母様、二人で写真撮りたいです」
はにかんだ笑顔でお願いすると、笑顔で応じてくれる。次にお父様、最後にお兄様。自然な流れでツーショット写真を撮ることに成功する。
「写真おくりますので、連絡先を」
ベタなやりかただが、白井家の面々は疑うことなく連絡先を教えてくれる。足掛け半年、やっと手に入れた直也の連絡先に心踊る。
写真を撮ったのにはもう一つ狙いがある、いくら自分が美しいといっても数日たてば記憶はぼやけてくる。そんな時に今日の写真を見返せば、直也は再び私を思い出し、歯噛みするだろう。なぜ寿也なのだ、と。
モヤモヤはムラムラに変化して、その写真に写る麻里奈をオカズに自慰することもあるだろう。いや、きっとするはずだ。私はただ待てば良い、婚姻届は私の誕生日に出すと先程宣言した、幸いまだ半年以上ある。その間に奪いにきなさい。
ところが、一か月、二か月、三か月が過ぎても一向に直也から連絡はなかった。生娘のように毎日連絡を待っている自分が惨めになってきた頃だった。その日は、寿也の家で夕飯、と言っても二人とも料理はできないので、来る途中に麻里奈がコンビニで買ってきたざる蕎麦だ。
「あ、悪い、言ってなかったな。おれ蕎麦アレルギーなんだよ、この量食ったら死ぬなあ」
ごめんごめん、と言ってキッチンからカップ麺を取り出してフィルムを剥がし始めた。
「ふーん、そんなのあるんだ」
さして興味も湧かずに、ゴワゴワにくっついた蕎麦を無理やり麺つゆにひたしてかきこんだ。
「直也のやつ、彼女できたみたいだな」
「は?」
電気ケトルから沸騰した湯を、カップ麺に注ぎながら言った寿也の言葉に耳を疑い、尖った声が出た。
「だれ?」
「いや、誰かまでは」
屈辱、憐憫、嘲る、見下す。あらゆる侮蔑の感情をぶつけられた気がした。この私をさしおいて他の女と付き合うなどもってのほか、言語道断。顔を真っ赤にして割り箸を握り潰した。目の前では何事もないようにカップ麺をすする寿也。
殺そう――。
殺意から始まる動機付けは、思ったよりも理論的、かつ実用的だった。親族が集まるのは何もめでたい席だけじゃない。もう、待っているなんて悠長なことは言っていられない。
この量、食ったら死ぬなあ――。
麻里奈は食べかけの蕎麦をみつめて微笑んだ。
そして、目論みどおり直也は私と結婚した、すべては自分の思うがままになるようにできているのだ。きっと姉も今頃は安らかに天に召されているだろう。
ゆっくりと湯船から上がると、体も拭かずにビチャビチャと脱衣所を歩き回る。鏡の前でモデルのようにポージングをとると。口の端を持ち上げて呟いた。
「こんにちは、新しい麻里奈」
非常呼び出しボタン――。
具合が悪くなった時のためにサウナ室内に設置してあるボタンの存在に姉は気がつくだろうか、たしか入り口付近の目立たない場所に付いていたはずだ。
「チッ」
余計な設備をつけやがる、サウナで具合が悪くなるような馬鹿は最初から入るな。しかし、まずい。理沙が無事に帰還すれば、自分が閉じ込めたことが露見してしまう。
「ごめーん、イタズラだったのぉ」
甲高い声を出して練習すると、風呂場内に不気味に反響した。まあ、サウナに閉じ込めるくらいのイタズラは別に問題ないだろう。しかし、これで奴が生還する可能性が出てきてしまった。まあいい、殺すチャンスはいくらでもある。
「クククッ」
しかし、閉じ込められたと分かった時の理沙の顔は傑作だった、小窓越しにも焦燥感が漂っていた。人間は騙されたり、裏切られた時に必ずあの顔になる。今までもそうだった。
その中でも直也の兄、寿也は最高だった。蕎麦茶をごくごくと、喉を鳴らして飲み干すと「カッ」と目を見開いて自分を見つめた。あの時の顔、忘れられない。
――寿也の弟って、あの白井直也なんだって。
暇つぶしで参加した中学校の同窓会でそんな話題があがった。新進気鋭の青年実業家、世界が注目する若手百選。そんな異次元の肩書がある弟を持つようには到底見えなかったが、念のため寿也とは連絡先を交換した。
すぐに白井直也を調べた、インターネットには天才を小説にしたような経歴が並ぶ。その中に雑誌インタビューに答えた時の写真があった。スラリと細身の高身長、涼しげな目元が最高にクールだった。
ああ、この人だ。
私に相応しいのはまさに白井直也のような人間だと信じて疑わなかった。さっそく寿也に連絡して兄との橋渡しを申し込むが、その返答はにべもなかった。
「他の女子にも頼まれたんだ、けど、あいつ女には興味ない、断ってくれって」
他の女子と私を同列にするな、思わず怒鳴り声を張り上げそうになるがなんとか堪えた。今のところ直也との接点はこの男しかいない。こんなレベルの男に頼み事をするだけでも業腹だったが、もう一度頼んで欲しいと言って次の報告を待った。
「会う気はないって」
結局、直也の返答は変わらなかった。
「そっか、ごめんね無理言って。それより寿也くんて今彼女とかいるの?」
一瞬で作戦を切り替えた、会ってしまえば必ず落とせる。その為にはまずこの男を懐柔しなければならない。そんな答えが導き出されてからは早かった。何度か寿也とデートを重ねると案の定、寿也はメロメロになった。当然だろう。高嶺の花なんてレベルじゃない。
有名な広告代理店で働く寿也は思ったよりかなり優秀な人間だったが、直也とは比べものにならなかった。決して自分から直也に会いたいなどと言わなかった、あくまでも自然な出会い、兄の彼女を好きになってしまう禁断の恋。そんなストーリーを思い描いた。
「結婚してくれないか」
退屈なプロポーズにあくびが出そうになった、付き合って半年。少し思わせぶりが過ぎたか、もしくは早く既成事実を手に入れて、他への流出を防ぎたかったか。いずれにせよ結婚なんてするわけがなかった。
ちょっとまだはや――。
と言いかけて脳内がフルスピードで回転し始めた。この半年で直也に会えるようなチャンスは皆無、これからだって保証などない。チンタラしていたら年だけ無駄にとってしまう。
婚約となれば、親、兄弟の顔合わせで確実に会うことが出来るのではないか。婚姻届さえ出さなければいつでもバックれる事ができる。一度でも会えれば何とかなる。私に惚れない男など存在しない。
「うん、いいよ」
寿也はその場で狂喜乱舞して喜んだ、薬指にはめられた指輪を眺めながら次の作戦を考えた。
芝浦にある高級料亭で白井家の両親と寿也、お目当ての直也が並んで座っていた。初めて生でみた直也は写真よりも数倍いい男だった。寡黙であまり話さず、かと言ってブスッとしている訳じゃない。主役の兄を立てる優しい弟、麻里奈はますます自分のものにしたくなった。
「美しいお嬢さんでびっくりしましたよ」
寿也の、いや、直也の父親はロマンスグレーのナイスミドルだった。間違いなく直也は父親似。いたって普通、さして特徴のない母親に寿也は似たのだろう。
タッチの差、横で愛想笑いする姉を見て感慨深くなる。二分の一の確率を引けないだけで人生は大きく変わる、特に女はその効果が顕著に現れてしまう。ブスに明るい未来などないのだ。
「そんなことありません、でも、ありがとうございます」
殊勝に振る舞い横目で直也をチェックする、変わらず寡黙に。淡々と料理を口に運んでいるが、内心では良い女だな、やりてえなぁ、などと考えているに違いない。
これは二枚目だろうが不細工だろうが、金持ちだろうが貧乏だろうが同じ。美しい女を抱きたいというのはオスの共有認識。本能なのだ。その抗うことが出来ない芯の部分に私は訴えかける。騙されるのも道理だろう。
食事が一通り終わり、中庭で記念撮影をした。
「寿也さんのお母様、二人で写真撮りたいです」
はにかんだ笑顔でお願いすると、笑顔で応じてくれる。次にお父様、最後にお兄様。自然な流れでツーショット写真を撮ることに成功する。
「写真おくりますので、連絡先を」
ベタなやりかただが、白井家の面々は疑うことなく連絡先を教えてくれる。足掛け半年、やっと手に入れた直也の連絡先に心踊る。
写真を撮ったのにはもう一つ狙いがある、いくら自分が美しいといっても数日たてば記憶はぼやけてくる。そんな時に今日の写真を見返せば、直也は再び私を思い出し、歯噛みするだろう。なぜ寿也なのだ、と。
モヤモヤはムラムラに変化して、その写真に写る麻里奈をオカズに自慰することもあるだろう。いや、きっとするはずだ。私はただ待てば良い、婚姻届は私の誕生日に出すと先程宣言した、幸いまだ半年以上ある。その間に奪いにきなさい。
ところが、一か月、二か月、三か月が過ぎても一向に直也から連絡はなかった。生娘のように毎日連絡を待っている自分が惨めになってきた頃だった。その日は、寿也の家で夕飯、と言っても二人とも料理はできないので、来る途中に麻里奈がコンビニで買ってきたざる蕎麦だ。
「あ、悪い、言ってなかったな。おれ蕎麦アレルギーなんだよ、この量食ったら死ぬなあ」
ごめんごめん、と言ってキッチンからカップ麺を取り出してフィルムを剥がし始めた。
「ふーん、そんなのあるんだ」
さして興味も湧かずに、ゴワゴワにくっついた蕎麦を無理やり麺つゆにひたしてかきこんだ。
「直也のやつ、彼女できたみたいだな」
「は?」
電気ケトルから沸騰した湯を、カップ麺に注ぎながら言った寿也の言葉に耳を疑い、尖った声が出た。
「だれ?」
「いや、誰かまでは」
屈辱、憐憫、嘲る、見下す。あらゆる侮蔑の感情をぶつけられた気がした。この私をさしおいて他の女と付き合うなどもってのほか、言語道断。顔を真っ赤にして割り箸を握り潰した。目の前では何事もないようにカップ麺をすする寿也。
殺そう――。
殺意から始まる動機付けは、思ったよりも理論的、かつ実用的だった。親族が集まるのは何もめでたい席だけじゃない。もう、待っているなんて悠長なことは言っていられない。
この量、食ったら死ぬなあ――。
麻里奈は食べかけの蕎麦をみつめて微笑んだ。
そして、目論みどおり直也は私と結婚した、すべては自分の思うがままになるようにできているのだ。きっと姉も今頃は安らかに天に召されているだろう。
ゆっくりと湯船から上がると、体も拭かずにビチャビチャと脱衣所を歩き回る。鏡の前でモデルのようにポージングをとると。口の端を持ち上げて呟いた。
「こんにちは、新しい麻里奈」