殺し合う家族
第八話 錯綜
「行ってきまーす」
順平はピカピカに磨いた革靴を履くと、颯爽と玄関を飛び出した。初夏の眩しい日差しに目を細めながら空を見上げて深呼吸する。
ああ、気持ちがいい――。
狭い道を強引に突破していく車を軽やかなステップでかわすと、スキップするように駅に向かう。胸ポケットで震えるスマートフォンを取り出すとラインが入っていた。
『おはよう(^^) お仕事がんばってね、早く逢いたいなぁ』
宏美からのメッセージでさらにテンションは上がる、彼女と出会ってからの順平は今までの鬱屈とした人生が嘘のように晴れやかな、そう、今日の天気のように清々しい気持ちで日々を過ごしていた。
仏頂面でまるで会話しない妻も、まったく懐かずに奇声を上げている娘も今では全然気にならない。自分には宏美がいる。若くて美人、そのうえ性格までいい。
前向きに生きると不思議と仕事も上手くいくものだ、先月に続いて今月も営業成績はトップだった。何かを変えた訳じゃない。ただ、宏美に相応しい男になれるように必死に働いただけだ。
驚いた部長の川島の顔は傑作だったが別に会社の為に頑張った訳じゃない。すべては宏美のため、彼女が喜ぶことならどんな努力も惜しまなかった。
立ち止まったついでに鞄の中身を確認する、エメラルドグリーンの細長い箱にリボンが掛かっている。中身はシルバーのネックレスだ。先日、彼女とデート中に寄ったブランド店で、食い入るように見ていたのを順平は見逃さなかった。
二十五万という金額には目眩がしたが、これをプレゼントした時の彼女の喜ぶ顔を想像すると、消費者金融に駆け込むのに躊躇いはなかった。もとより月に一万のこづかいでデート代など捻出できるはずもなく、すでに数社から世話になっている。
鞄のチャックを閉めて、再び駅に向かって歩き出す。今日は金曜日、仕事が終われば宏美に会える。はち切れんばかりの豊満な胸に顔をうずめる所を想像して前屈みになると、周りの人間からチラチラと視線を向けられたが、気にもしないで先を急いだ。
※
「どうやら勘づかれました」
白井の言葉を理解するのも面倒で、順平は「はぁ」と空返事をした。本来ならば今頃は宏美と高級フレンチを食べているはずだったのに。
『お母さんの具合が悪くて今日行けなくなっちゃった、ごめんね(泣)』という宏美からのメッセージと「緊急にお話したい事があります」という白井からの電話は、ほぼ同時だった。
いつものチェーンの安居酒屋でとりあえず乾杯をすると白井は真剣な表情を崩さないまま続けた。
「我々の計画が妻にバレたようです」
ワレワレ、なんか宇宙人みたいだなあ、とまったく関係ないことを考えたあとで現実に引き戻された。
「えっ! バレたって、殺そうとしてる事ですか?」
つい大きな声が出てしまった。慌てて口を手で塞ぐが、二つとなりのテーブルに座るサラリーマンの三人組が一度こちらを見てから会話に戻った。
「バレたってどういう事ですか」
今度は声のボリュームを絞って問いかける。
「ええ、妻のスマートフォンには盗聴と盗撮、更には位置情報までだだ漏れのアプリを仕込んでいるのですが……」
その存在は順平も噂に聞いたことがあった。白井によると浮気の現場でも掴めれば離婚するのも容易いと考えた時に、こっそりと嫁のスマートフォンにアプリを仕込んでおいたようだ、残念ながら浮気の現場を突き止めるような証拠は今のところ抑えることは出来ていないらしい。
それにしても――。
ガラケーしか持っていないアナログ人間かと思いきや、そんなアプリを仕込むような知識はあるのかと疑問を感じた、しかし、今はそれどころじゃない。
「それで、どうしてバレたのですか」
「パソコンの履歴を覗いたようです」
ガラケーしか持っていない白井は自宅のパソコンで完全犯罪に使えそうなネタを探していたという、パソコンにロックもかけずに出かけたスキに嫁が書斎に侵入して中身を拝見したというわけだ。
「これを聞いてください」
白井は手のひらサイズの細長い機械を取り出した、それがボイスレコーダーだとは説明されるまで分からなかった、今どき録音なんてスマートフォンで事足りる。
『あの二人、私達を殺す気だよ――』
居酒屋の喧騒の中でボイスレコーダーを耳に当てると、録音された音声が聞こえてくる、おそらく白井の妻の声だが確信は持てない、しかし次に発した声には聞き覚えがあった。妻の理沙だ。
『だから殺す、と。そんな馬鹿な』
『あたしも思ったよ、でも怖くてさ、探偵を雇ったのよ』
『で、で、どうだったの?』
『まずはこの写真を見て』
『次にこの音声を聞いてみて』
『だれ、こいつ?』
『残念ながらそこまでは、ともかく順平くんはこの女にすっかり骨抜きにされた、そこで邪魔になった家族』
『だったら離婚するば良いじゃない』
『だめよ、順平くんの稼ぎじゃ離婚して、養育費を払ってたらこの女とのバラ色の日々が立ち行かなくなる、住む家もない』
『だからって』
『事故でお姉ちゃんと子供たちが死ねば、家はもちろん自分の物、養育費もいらない、お姉ちゃん死亡保険は?』
『入ってる』
『だったらこっちが殺してやるわ、返り討ちよ』
順平はピカピカに磨いた革靴を履くと、颯爽と玄関を飛び出した。初夏の眩しい日差しに目を細めながら空を見上げて深呼吸する。
ああ、気持ちがいい――。
狭い道を強引に突破していく車を軽やかなステップでかわすと、スキップするように駅に向かう。胸ポケットで震えるスマートフォンを取り出すとラインが入っていた。
『おはよう(^^) お仕事がんばってね、早く逢いたいなぁ』
宏美からのメッセージでさらにテンションは上がる、彼女と出会ってからの順平は今までの鬱屈とした人生が嘘のように晴れやかな、そう、今日の天気のように清々しい気持ちで日々を過ごしていた。
仏頂面でまるで会話しない妻も、まったく懐かずに奇声を上げている娘も今では全然気にならない。自分には宏美がいる。若くて美人、そのうえ性格までいい。
前向きに生きると不思議と仕事も上手くいくものだ、先月に続いて今月も営業成績はトップだった。何かを変えた訳じゃない。ただ、宏美に相応しい男になれるように必死に働いただけだ。
驚いた部長の川島の顔は傑作だったが別に会社の為に頑張った訳じゃない。すべては宏美のため、彼女が喜ぶことならどんな努力も惜しまなかった。
立ち止まったついでに鞄の中身を確認する、エメラルドグリーンの細長い箱にリボンが掛かっている。中身はシルバーのネックレスだ。先日、彼女とデート中に寄ったブランド店で、食い入るように見ていたのを順平は見逃さなかった。
二十五万という金額には目眩がしたが、これをプレゼントした時の彼女の喜ぶ顔を想像すると、消費者金融に駆け込むのに躊躇いはなかった。もとより月に一万のこづかいでデート代など捻出できるはずもなく、すでに数社から世話になっている。
鞄のチャックを閉めて、再び駅に向かって歩き出す。今日は金曜日、仕事が終われば宏美に会える。はち切れんばかりの豊満な胸に顔をうずめる所を想像して前屈みになると、周りの人間からチラチラと視線を向けられたが、気にもしないで先を急いだ。
※
「どうやら勘づかれました」
白井の言葉を理解するのも面倒で、順平は「はぁ」と空返事をした。本来ならば今頃は宏美と高級フレンチを食べているはずだったのに。
『お母さんの具合が悪くて今日行けなくなっちゃった、ごめんね(泣)』という宏美からのメッセージと「緊急にお話したい事があります」という白井からの電話は、ほぼ同時だった。
いつものチェーンの安居酒屋でとりあえず乾杯をすると白井は真剣な表情を崩さないまま続けた。
「我々の計画が妻にバレたようです」
ワレワレ、なんか宇宙人みたいだなあ、とまったく関係ないことを考えたあとで現実に引き戻された。
「えっ! バレたって、殺そうとしてる事ですか?」
つい大きな声が出てしまった。慌てて口を手で塞ぐが、二つとなりのテーブルに座るサラリーマンの三人組が一度こちらを見てから会話に戻った。
「バレたってどういう事ですか」
今度は声のボリュームを絞って問いかける。
「ええ、妻のスマートフォンには盗聴と盗撮、更には位置情報までだだ漏れのアプリを仕込んでいるのですが……」
その存在は順平も噂に聞いたことがあった。白井によると浮気の現場でも掴めれば離婚するのも容易いと考えた時に、こっそりと嫁のスマートフォンにアプリを仕込んでおいたようだ、残念ながら浮気の現場を突き止めるような証拠は今のところ抑えることは出来ていないらしい。
それにしても――。
ガラケーしか持っていないアナログ人間かと思いきや、そんなアプリを仕込むような知識はあるのかと疑問を感じた、しかし、今はそれどころじゃない。
「それで、どうしてバレたのですか」
「パソコンの履歴を覗いたようです」
ガラケーしか持っていない白井は自宅のパソコンで完全犯罪に使えそうなネタを探していたという、パソコンにロックもかけずに出かけたスキに嫁が書斎に侵入して中身を拝見したというわけだ。
「これを聞いてください」
白井は手のひらサイズの細長い機械を取り出した、それがボイスレコーダーだとは説明されるまで分からなかった、今どき録音なんてスマートフォンで事足りる。
『あの二人、私達を殺す気だよ――』
居酒屋の喧騒の中でボイスレコーダーを耳に当てると、録音された音声が聞こえてくる、おそらく白井の妻の声だが確信は持てない、しかし次に発した声には聞き覚えがあった。妻の理沙だ。
『だから殺す、と。そんな馬鹿な』
『あたしも思ったよ、でも怖くてさ、探偵を雇ったのよ』
『で、で、どうだったの?』
『まずはこの写真を見て』
『次にこの音声を聞いてみて』
『だれ、こいつ?』
『残念ながらそこまでは、ともかく順平くんはこの女にすっかり骨抜きにされた、そこで邪魔になった家族』
『だったら離婚するば良いじゃない』
『だめよ、順平くんの稼ぎじゃ離婚して、養育費を払ってたらこの女とのバラ色の日々が立ち行かなくなる、住む家もない』
『だからって』
『事故でお姉ちゃんと子供たちが死ねば、家はもちろん自分の物、養育費もいらない、お姉ちゃん死亡保険は?』
『入ってる』
『だったらこっちが殺してやるわ、返り討ちよ』