夕陽を映すあなたの瞳
第九章 ひと晩
 「久住、ほら、しっかりしろって」

 自分のマンションに着き、支払いを済ませると、昴は心を支えてタクシーを降りる。

 エレベーターで25階へ行き、部屋に入ると、心は崩れ落ちるように玄関に寝転んだ。

 「わー、久住!ちょっと、そんなところで寝るなって!」

 なんとかソファに座らせて、冷たいミネラルウォーターを飲ませる。

 「どうだ?少しは落ち着いたか?住所、言えるか?」

 心から住所を聞いたら、再びタクシーで送り届けるつもりだった。

 だが、心はいっこうに口を開かない。

 「なあ、久住。うちはどこだ?何か、免許証とかあったら見せてくれないか?」

 すると、いきなり心はパッと目を開き立ち上がった。

 「お、久住?帰れるか?今、タクシー呼ぶから…」
 「トイレ行きたい」
 「え?ああ、こっちだ」

 昴が案内すると、心はすたすたとついてくる。

 良かった、足取りもしっかりしてる、と安心していると、心は洗面所で手を洗った後、いきなり昴の歯ブラシを掴んだ。

 「え、わー!久住、それ俺のだ」

 歯磨き粉を付けようとする心から歯ブラシを取り上げると、心はムッとした顔で怒り出す。

 「歯磨きしたいのに!」
 「わ、分かった、分かったから。確か、ホテルのアメニティーの…。あった!はい、これを使って」

 封を切って取り出した歯ブラシを心に握らせる。

 ついでに歯磨き粉も付けてやると、心は満足そうに頷いて歯磨きを始めた。

 (ふう、やれやれ。って、今度は何を?)

 歯磨きを終えた心は、ばしゃばしゃと顔を洗い始めた。

 そして目の前にある洗顔フォームを手にして、中身を手のひらに出す。

 「ちょ、それ、男用だぞ?メイク落としでもなんでもないぞ?」

 昴の声など気にも留めず、心は黙って豪快に顔を洗うと、ふう!とすっきりした顔で微笑んだ。

 「あ、あの久住?そろそろ住所を…」

 とにかくそれだけは聞き出さなければと、昴が必死で声をかけるが、心はくるりと向きを変えて洗面所をあとにした。

 リビングに戻るのかと思いきや、心は廊下の途中のドアを開けて中に入る。

 「く、久住、そこは寝室…」

 そう言って引き留めようとした昴は、いきなり服を脱ぎ始めた心にびっくりして慌ててドアを閉めた。

 「くーずーみー!」

 困り果ててドアに頭を付ける。

 しばらくして物音がしなくなると、昴はドアをノックした。

 「久住?入るぞ?いいか?」

 返事はない。

 昴は、そっとドアを開けて恐る恐る部屋を覗き込む。

 ベッドの上で布団にくるまり、心はすやすやと眠っていた。

 床には、脱ぎ捨てられたワンピースが無造作に置かれている。

 昴は、はあーと深いため息をついた。
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