夕陽を映すあなたの瞳
 ニ日後、仕事を終えて更衣室を出ると、廊下の前方から30代の男性社員、桑田が手元のファイルに目をやりながら歩いて来るのが見えた。

 心の所属するチームのリーダーで、心が入社した時、マンツーマンで指導してくれた、長きに渡る直属の上司だ。

 その桑田が、ふと顔を上げて心に気付いた次の瞬間、驚いたように二度見する。

 「うわっ、久住!あからさまにデートだな?!」

 心は苦笑いする。

 いつも職場では作業着に長靴姿、髪は一つに束ねてほぼすっぴん。
 通勤ももちろん、ラフなジーンズにカットソーやTシャツがほとんどだ。

 そんな心が、今日は白のジャケットに水色のフレアスカート、おまけに足元はヒールが少し高めのパンプスなのだ。
 驚かれても無理はない。

 「お疲れ様です。デートじゃないですよー。同窓会の幹事をやることになったので、これからお店の下見に行くんです」
 「はー、なるほどね」
 「それより桑田さん。私、魚臭くないですかね?」

 ちょっと声を潜めて近づきながら聞いてみる。

 水族館で飼育員として働いている心は、毎日大量の魚を捌いている。
 心の担当は、海獣と呼ばれるイルカ達だ。
 食事として与えているアジやサバ、イカなどの頭や内臓を取り除き、食べやすいように切って重さを測る『調餌』と呼ばれる作業は、毎日欠かすことは出来ない。

 個体や種類にもよるが、バンドウイルカであれば、一日に10キロ~15キロほど食べるのだ。
 私は漁師か?魚屋か?と思いながら、心はいつも大量の魚を手早く捌いている。

 どんなに手を洗っても、やはり魚臭さは完全には消えない。

 今も、シャワーで念入りに髪も洗ったのだが、まだ心配だった。

 「うーん、どうだろ。そもそも俺が魚臭いしな。それにこの場所だって、魚屋と変わらんぞ」

 確かに…と心は頷き、仕方ないかと諦める。

 「ま、そんなことは気にせず楽しんで来いよ、幹事!」

 明るい桑田の声に、心は、はいと笑顔で返事をした。
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