卒業証書は渡せない

58.卒業証書

 やがて弘樹は立ちあがって、私のところまで来た。

「ごめん、帰ろう」
「……あれ? 弘樹、そこ……」

 さっきは確かに全部あったのに、ボタンが1つ無くなってた。

「奈緒にやった。生きてたら、やるつもりだったから」

 弘樹は墓石を振り返った。
 線香の辺りで、微かに何かが光ってた。

「昨日も奈緒の夢見たよ。卒業証書持ったままこの山登って、鳥になって飛んでた。……ダメだ俺、奈緒のこと、忘れらんねー……」
「奈緒は生きてる」
「え?」
「奈緒は生きてるよ。ここで」

 私は思いっきり、でも軽く、弘樹の胸を押した。
 奈緒は死んでなんかいない。
 誰かが覚えてる限り、奈緒は生きてる。

 通学路に戻りながら、弘樹は話し続けた。

「俺、ちゃんと卒業する。卒業しねーと進まねーし」
「卒業か……誰か歌ってたね、♪何を卒業するのだろう、って」
「これ、何かわかる?」

 弘樹が私に見せたのは──奈緒とペアでつけてたリングに間違いない。

「わかるけど……」
「これは俺のじゃない。葬式のときにもらった遺品の中に入ってた。あれからずっと持ってたけど……さっき要らなくなった。俺、奈緒を卒業する」
「えっ? どうして? 捨てるの?」
「最初はそうしようと思ってた。でもやめた。おまえが持ってろ」

 意味がわからなかった。
 せっかくの、奈緒との想い出の品なのに。
 まだ忘れられない、って言ってたのに。

「私が? なんで? 奈緒の形見だよ……」
「じゃ、捨てようか?」
「ダメ! それはダメ!」
「じゃ、貰って。俺が持ってても仕方ねーし。ほら」

 弘樹はリングを差し出した。でも、そんな簡単に貰えるものじゃない。

「奈緒、言ってたよ。夕菜は優しいから絶対俺らの邪魔しないって。でも今は邪魔してほしい。頼む。奈緒にはさっき言って来た。これは夕菜に渡すか……捨てるって。捨てて良いのか?」

 捨てて良いわけがない。
 私はリングを受け取って──何気なく指にはめてみた。
 サイズはちょうど良かった。奈緒はいつも、これをつけていた。

「長かったな。1年かかった。この1年……離すのに訓練して、卒業が決まった。夕菜、この卒業は卒業証書もらえる?」
「卒業証書?」
「うん。言い換えたら……次の人生への切符。切符がないと電車に乗れない。切符は──俺の近くにある」

 ちょっと待って。
 いま、何の話をしてるの?

 ソツギョーショーショ。ってなに。ツギノジンセーヘノキップ。ってどういうこと。デンシャニノレナイ。ってなんで。ヒロキノチカクニアル。ってどこに。

 考えられることは、1つしかなかった。

「さっきも言ったけど、奈緒のことは毎日考えてる。だから、奈緒のこと知らない奴とは絶対付き合えねー。今の俺は……夕菜、おまえしかいない」

 ──って、弘樹に真剣に見つめられたけど。
 弘樹が私を彼女にしようとしてる、に違いないけど。

「む、無理だよ、私には、そんなこと……」

 今まで何度も考えたこと。
 どれだけ考えても、答えは同じだった。

「奈緒が、可哀想だよ……」
「だから! だから……奈緒のこと忘れられねーから……おまえなら、知ってるから……」

 弘樹の気持ちは、よくわかってた。
 付き合ってる相手が前の恋人を忘れられない……理由がどうであれ、あまり良い気はしない。

 でも、私は弘樹に「ごめんなさい」としか言えなかった。

「わかったよ……じゃあな……元気でな」

 帰っていく弘樹の背中を見つめながら、涙が止まらなくて。
 つけたままの奈緒のリングが、存在感たっぷりで。

「弘樹! また、会おうね!」

 振り返ってはくれなかったけど、声は聞こえたみたいで、片手を上げてくれた。
 でも、賛成なのか反対なのかは、わからなかった。
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