ごめんあそばせ王子様、 離婚経験者の私に怖いものなどございません
「さ、皆さまお疲れでございましょう。ひと休みいたしましょうか」
教育係のヴェルジー伯爵夫人のひと声で、令嬢たちがホッとした顔を見せた。
「バラ園の近くの四阿に、お茶の準備をいたしておりますよ」
「まあ、嬉しい」
一番に立ち上がったのは辺境伯の令嬢、アンヌマリー様だ。
のびのびとお育ちになったご令嬢だから、じっと座り続けているのは苦痛だったのだろう。
ほかの方々も上品に立ち上がって、お茶会の場所へ移動していく。
もちろん実家から連れてきている侍女たちは、少し感覚を空けて後に続いた。
私はひとり、この部屋から動けずにいた。
(なんだかね~)
この部屋に集まってから一時間しか経っていないから、おそらくソネットを作るというよりお茶会の方がメインなのだろう。
政治や経済といった、どんな話題にも答えられるか。
お茶を飲む所作は美しいか。
その他もろもろ、侍女長やヴェルジー伯爵夫人がひそかに採点しているのかもしれない。
(こんな面倒なこと、やってられない!)
日本で生きてきた郁子の記憶が蘇ってから、すべてが私にとって苦痛だった。
歩く時も食事する時も優美な仕草が求められ、常に侍女が身の回りの世話をしてくれる環境。
それに令嬢同士の会話だって、本音を口にすることはまずない。
お互いのドレスの美しさや髪型のセンスを褒めたたえ合い、家族のことをさりげなく聞き出す。
社交界の噂話にだって参加せざるを得ないのだ。
『伯爵夫人が高価な宝石を買ったらしい』『それは夫の浮気がバレて買わせたからだ』なんてどうでもいいじゃないか。
私だって高位貴族の娘だけど、些末なひと言で立場を失うことだってあるのだから気を抜けない。
ここは王太子の婚約者を選ぶための戦場なのだ。
たとえリリアーネ様が選ばれるとしても、残りものとはいえ私たちにもいい縁談が約束されているから実家の繁栄のためにここにいる。
(こんな気分の時は、ベルちゃんに癒されたい~)
私は目の前にある白い紙に、郁子が飼っていた愛犬ベルの絵を描き始めた。
ヨークシャーテリアのベルは、私にとっては夫以上の存在だった。
愛人のところに入り浸っていた夫に愛想は尽きたけど、ベルだけは愛おしかった。
子どもたちが独立してから、私は子犬だったベルを育てることに救いを求めていたんだ。
あのマンションを選んだのも、ペット可の物件だったからだ。
羽ペンで描くのは難しいけれど、実は幼い頃にマンガ家を夢見ていたから多少の絵心があるのだ。
(ベルちゃん、私が死んじゃってからどうしたかなあ)
気は優しくて力持ちの息子か、気が強くて見栄っ張りな娘か、ふたりの子どものうちどちらかが飼ってくれていることを祈ろう。
ああ、泣きそう。
(私が甘やかしちゃったから、チョッと吠え癖がついちゃったんだよね)
あのつぶらな瞳に見つめられたい……。そう思って、必死にペンを動かした。
(可愛い……)
なかなか上手く書けたから、色も付けたいなと欲張った気持ちになる。
(色鉛筆なんてあったっけ。あ、そもそも鉛筆がなかった)
私は前世を思い出してから、日本での記憶と中世のようなこの世界とのギャップにまだ慣れないのだ。
肖像画を描いてくれた画家にいい方法がないか聞いてみようかと考えていたら、背後から声をかけられた。
「なにをしている?」
からかうような、それでいてチョッと不機嫌さも感じる声だった。