ごめんあそばせ王子様、 離婚経験者の私に怖いものなどございません
「ふう、危なかった」
「もうお嬢さまったら、どうなるかと思いましたよ」
もう大丈夫かなと、馬車の中でふたりだけになると肩の力が抜けた。
アランは馬で先導してくれている。
「ごめんねえ、ルル。打ち合わせしといてよかったわ!」
ルルは私の乳母のマディの娘で、胸のあたりまで伸ばした髪を三つ編みにして、左右にお団子を作っているのがトレードマーク。
同い年のルルは、もう何年も私に付いてくれている小柄でキビキビとよく動く侍女だ。
仕事や社交に忙しいシャルタン侯爵夫妻のもとに生まれた私と兄は、マディ一家に育てられたようなものだ。
ルルの兄のアランは、私の護衛をしてくれている。
本棚に後頭部をぶつけた日、パニックになった私はマディとルルにすべて打ち明けたのだ。
『私の中に、五十五歳のおばちゃんがいるの!』
太っ腹なマディは、ガハハッと笑って『お嬢様、お妃教育のお疲れが出たんですね~』と言っただけだったけど、ルルは信じてくれた。
というのもルルはほとんど私にくっついているから、私が椅子に座る時『よいしょ』と言ったり、ドレスや宝飾品を決める時に地味なものばかりを選ぶようになったからおかしいと思ったらしい。
『お嬢様、確かに見た目は十七歳のフランソワーズ様でございます。ただ、少し違和感がございます』
『違和感?』
『意味のわからない言葉をおっしゃったり、好みのものが変わられたような……』
『信じてくれる?』
『はい! でも、どんなフランソワーズ様だってルルが全力でお支えいたします』
気を抜いたら郁子の記憶が顔を出すものだから、私たちはバレないように回避策を考えた。
それが『眩暈のフリ作戦』だ。
私がヤバいと思ったら、ハンカチを口に持っていく。
そこで眩暈のフリをして、ルルとその場から立ち去るというものだ。
初回はシャルル王子相手に上手くいったけど、何度も使えそうにないのが欠点だ。
私は病弱という設定にするには、あまりにも健康的だ。
ピンクの頬をして、よく食べてよくしゃべる私に『眩暈』というのは似合わなさすぎる。
控室に戻った私はルルに告げた。
「ルル、私は抜けるわ」
「は?」
「この出来レース、参加する意味がわからない」
「出来レース? このお妃教育がでございますか?」
「やってらんない」
私は控室に置いていた本や筆記用具をまとめた。
「な、なにをなさっているんですか、お嬢様!」
「いち抜けた~。ルル、屋敷に帰るわよ」
この二年間、お妃教育だからと王宮に通い続けてきた。
様々な勉強やお茶会、時には外国からの国賓を招いての大きな夜会にだって参加してきた。
(もうやってられない)
王太子の婚約者になるつもりなんてサラサラないのに、真面目にこなしている方がバカみたいだ。
(もし選ばれなくても、素晴らしい婚約者を用意する? とか言ってたけど)
とんでもない話だ。
おそらくこの国の政略のために、近隣の国へ嫁がされるのだろう。
王妃教育まで受けた高位貴族の娘なら、ホイホイと受け入れてくれる国がありそうだ。
(そんな結婚なんか、しなくていいじゃない)
郁子だった時に夫に裏切られ続けた記憶があるからか、私はまったく結婚に夢も希望も抱けない。
まだ領地に引きこもって、スローライフを楽しんだ方が幸せになれそう。
(その手があった)
私は心に決めた。
(領地に行こう! そこでのんびり暮らすんだ!)
ルルとアランが一緒に来てくれたら最高ではないか。
まるで、前世の息子と娘のように、私はふたりが可愛くてならない。
(こっちの世界の家族みたい)
私はのんびりとそんなことを考えて現実逃避していた。