ごめんあそばせ王子様、 離婚経験者の私に怖いものなどございません
冷めてしまった紅茶を飲んでいたら、廊下からバタバタと走る音が聞こえてきた。
こんな礼儀のなっていない行動は、使用人ではないはずだ。
「フラン!」
叫び声を聞いて、ため息が出そうになった。
(忘れてた……)
慌てふためいて、ノックもせずに私の部屋に飛び込んできたのはお兄様だった。
「すみませんお嬢様、お止めしようとしたのですが」
アランが兄の後ろから入ってきた。
もの凄い剣幕の兄を諫めようとしてくれたらしい。
「大丈夫よ、アラン。気にしないで」
小柄なルルと違って、アランは屈強な体格だ。
わが家の騎士団でも優秀だと聞いているが、私が『婚約者候補』に選ばれた時から護衛に付いてくれている。
王宮に出入りするのだからと、お父様が我が家で一番有望な彼を選んでくれたらしい。
私としては、幼い頃からルルと一緒に遊んでもらっていたから大歓迎だ。
「お兄様、そんなに慌ててどうかなさったの?」
兄に向ってニッコリ微笑んでみたけど、誤魔化せそうにない。
少し乱れた前髪をかき上げる仕草までが絵になる、侯爵家の長男、ルイ・ニコラス・ド・シャルタン。
私と同じ金髪碧眼で、王太子シャルル様とは幼なじみだ。
「フ、フラン。体調は?」
「体調?」
「君が急に帰ったって聞いたから慌てたよ。今朝はあんなにしっかり食事していたというのに……」
「あ……」
兄の背後で、アランとルルが遠い目をしている。
兄のルイは、いわゆるシスコンだ。
小さなころから私を守るのが自分の使命だと思っているらしく、自分のことより私を最優先させる人なのだ。
「お兄様、お仕事は?」
「やってらんないよ! 君の調子が悪いなんて、よっぽどのことだろう? 熱は? 痛いところはない?」
「お兄様、落ち着いてください。もう元気ですから」
やっぱり病弱設定は無理だと悟った私は、兄を落ち着かせようと立ち上がった。
「ほら、ルルの淹れてくれたお茶を飲んだらすっかり回復しました!」
私はクルリとひと回りしてみせた。
「お兄様もルルのお茶を飲んで落ち着てくださいませ」
私の目配せで、ルルが新しいお茶を準備してくれる。
「よ、よかった~。今日は父上も留守だから、なにかあったらと心配したよ」
そうだった。お兄様もだが、お父様もとっても過保護だった。
私が途中で帰ってきたなんて知ったらどうなったかと思うと頭が痛い。
狩りにお出かけでよかったと胸をなでおろす。
「ごめんなさい、心配かけちゃって」
「いいんだよ、フラン。君があの集まりが苦手なのはよくわかっているから」
「お兄様……」
これはチャンスだ。
「そうなんです。私、もう辞めたい……」
私が俯いてぐすんと鼻をひと啜りすると、お兄様もうんうんと頷いている。
「そうだよね。フランは昔からアイツのこと苦手だったもんね~」
「意地悪ばっかりされてきましたから」
わが家の領地に遊びにいらした時、大きな犬をけしかけられただけではない。
やれドレスが似合わないの、所作が美しくないだの悪口ばっかり言われてきた。
おまけに『こんなこともわからないのか』と、歴史やら地理やらこの国のことを質問攻めにされたりもした。
友人の妹だからって、五歳も年が離れている私にあの王太子は容赦なかったのだ。