悪役を買って出た令嬢の、賑やかで切なくて運命的な長い夜のお話
「……よし、行こう」
 最低限の荷物を詰めたトランクを持って、そうっとドアから聞き耳を立て廊下の様子を伺う。
 近い範囲には人は居ないようだ。
 音を立てないようドアを少しだけ開け、顔だけを出して今度は目視で確認する。
 長い廊下はうんと先まで最低限の明かりだけが灯され、しんと静まっていた。
 エバはするりと部屋から抜け出し、一階へ続く大階段を忍び込んだ猫のように慎重に辺りを警戒しながら進む。
 まだ帰っていない父を迎える為に明かりはすべて灯されていたが、玄関ホールには誰も居なかった。
 急いで大きな扉に付いた、真鍮のハンドルに手を掛ける。
 誰も来ない事を祈りながら押し開けると、ぶわりと春の強い風が吹き込んできた。
 エバは隙間から急いで外に出て、扉を音を立てないように慎重に閉めた。
 そうしてすぐに物陰に隠れた。
 誰も確認に出てこない様子から、玄関の扉が開いた事に誰も気付かなかったようだ。
 髪を巻き上げ木々を揺らしごうっと吹く、強い風が立てる音のせいで気づかなかったのかもしれない。
 エバはトランクの革の取っ手を力強く握り、隠れながら門を目指した。
 後ろ髪を引くのは、優しくしてくれた使用人達にお別れが言えなかった事だ。けれどこれは仕方がない。
 重い鉄の大きな門に手を掛け、感傷的な気持ちと一緒に全体重をのせて押すと、若干音を立てたが思いのほか呆気なく開いた。
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