完璧からはほど遠い
「やった!」

 成瀬さんがわっと喜んだ。つないだ手は随分温かくなっていた。

 彼は子供みたいに嬉しそうにしながらその手を握りなおす。私は丸め込まれてばかりは駄目だ、と思い慌てて厳しい声を出した。

「で、でもちゃんとルール決めましょう!」

「勿論! 俺掃除とかちゃんと頑張るよ」

「出来るんですか……?」

「佐伯さんがいてくれたら頑張れると思う。あ、一緒に暮らすなら佐伯さんの親に挨拶とかしなきゃねー」

「!? もうですか!?」

「今度予定あわせよう。
 あ、それとさ」

 低い声で成瀬さんが言いだしたので身構えた。一体何が飛び出してくるやら。

 少し眉をひそめた彼は真剣なまなざしで言う。

「元カレさ、名前で呼んでたよね?」

「え? まあ、そうですね。一年付き合ってたので」

「佐伯さんも大和、って呼んでたよね」

「は、はい」

「ずるくない? 俺未だに苗字なんだけど」

 不快そうにそんなことを大真面目に言ったので、私はつい吹き出してしまった。何か大きな問題があるかと思っていたのに、そんなことだったなんて。

「え、笑うとこ?」

「すみません、怖い声で言うので何があるんだろうって身構えてたので」

「俺にとったら重要だよ?」

「えっとじゃあ、下の名前で呼んでください」

「志乃」

 自分で言ったくせに、呼ばれた瞬間、笑いなんて引っ込んだ。そして代わりに、痛いほどに暴れる心臓をなだめることに必死になった。

 初めて呼ばれた、成瀬さんから。好きな人から呼ばれるととても特別な名前に聞こえる。今まで何万回も聞いてきた名前なのに、初めて付けられたみたい。

「……はい」

「じゃ、そっちの番」

「……け、」

「け?」

「け、け、
 うわー! すみません、もうちょっと時間ください!」

 手で顔を覆ってしまった私を、今度は成瀬さんが笑った。夜道に笑い声が響く。

 そうこうしてるうちに、見慣れたマンションが現れた。散々通ったあのマンションだ。

 これからは私の帰る家になるだなんて、いまだに信じられない。すべては熱を出して倒れた成瀬さんを看病した、それが始まり。
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