完璧からはほど遠い
「佐伯さん、おはようございます」

 振り返ると、成瀬さんがそこに立っていた。スーツを着こなし、髪型も表情もビシッさせた仕事モードの成瀬さんだ。最後にベッドに放り投げたときと、あまりに違いすぎて目をちかちかさせた。

「あ、成瀬さん、おはようございます。金曜はフォローありがとうございました」

「どういたしまして。
 これ、みんなに配ってるんだけど、頂き物のお菓子。どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 個装された洋菓子のようだった。差し出した私の両手にお貸しを置くと、にこっと笑ってすぐに去っていく。その後ろ姿を見送りながら、不思議な感覚に包まれていた。オンとオフがこれほど激しい人もいないよなあ。あ、土日ちゃんと食べてたのかな。出勤してきたってことは元気になったんだろうけど。

 私はふうと息を吐きながら、お菓子をしまっておこうと鞄を取り出したとき、焼き菓子にしてはやけに重みがあるな、と気が付いた。

 深く考えずに中を開けてみたところ、自分の精神は宇宙へぶっとんだ。


 家の鍵。鍵がひっそり、そこにあったのだ。

「……え」

 私は言葉を失くす。

 慌てて歩き出していた成瀬さんを呼び止める。何かの間違いじゃないか、だって確かに食事は届ける約束したけど、鍵を預けるなんて……!

「成瀬さ……!」

 言いかけた私に、くるりと彼が振り返る。そして何も言わず、ひとさし指を立てて口元に当てた。そのちょっとした仕草がどこか妖艶で、私は言葉を飲み込んだ。

 成瀬さんはそのまま他の子たちにお菓子を配っている。それを呆然と見つめたあと、とりあえず無くさないように財布にしまいこんだ。


(嘘でしょ……合鍵渡す? あの人財布も預けようとしてたし、危機管理なさすぎじゃない?)


 成瀬さんの頭の中、一体どうなってるんだ。

 これが、普段完璧と思われた成瀬さんと私の変な関係の始まりだった。

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