僕の欲しい君の薬指
温《ぬる》いだけだったはずの風に乗って運ばれてきたベルガモットの爽やかで色っぽい香りが鼻を掠めた。
私とあの人が前に何処かで会っている訳がないか。すぐにそう思い直した。だって私は天糸君から逃れる為だけにわざわざ地元から離れたこの大学に進学を決めたのだ。ただでさえ知り合いのいない環境にいるせいで、こうしてお昼休みも孤独に過ごしている。
それに、あんなにも端整な容姿をしている人間と会っていたとしたら、強烈な記憶となって脳に刻まれているはずだ。
「冷静に考えたら、ここにいる私の知り合いって天糸君だけなんだね」
ポロリ。口から漏れた呟きが、あの子のお手製の弁当箱の上で溶ける。一番逃げたかった相手の支配下に置かれている自分が甚だ馬鹿らしく感じて、自嘲的な笑みすら零れた。これじゃあ全く本末転倒だ。
ただ天糸君の狂った情愛から放たれたいだけなのに。たったそれだけなのに。神様は私の願いをまだまだ叶えてくれる気はないみたい。
「それ、美味そうだな」
食べかけの彩り豊かなお弁当に視線が落ちていた私の頭上から突然降りかかった声に、脊髄反射で肩が跳ねた。