金魚姫
アルフレッド様が言った通り、次のお茶会は屋敷の西側の庭に面したサンルームで開かれることになりました。そしてお母様もあの日の言葉を取り下げず、私は参加を強いられたのです。
アンジェお姉さまもキャスも、一緒にと喜んでくれるのは嬉しいのですが、やっぱり人前に出ることがとても怖いです。特に、アルフレッド様の眼に、変に映らないようにと願ってしまいます。
可愛らしいピンクのドレスを着せられて、ほんのりと化粧もしてもらいました。お客様のいらっしゃる音がいつ聞こえるかと思うと、緊張で胸が痛くなってしまいます。
ああ、もうどうしましょう。そうだ、ガチガチなこの気持ちをほぐしてもらおうと、会場のサンルームにいる赤い金魚に会いに行こうと思いました。まだ始まるには早いだろうから少しなら大丈夫だろうと思ったのです。
こそりとサンルームの扉を開ければ、窓際のレースがひらりと舞い上がりました。普段開け放つことのない部屋のそれが妙に不思議に思えます。どうしたのだろうかと、人を呼ぼうとしたその時、金魚の鉢が割れて水浸しになっていることに気が付きました。
「え……あ、どうして……?」
割れたガラスの周りを見回してもあの赤い金魚はどこにもいませんでした。人を呼ぶのも忘れて探しました。すると、小さな水の雫が点々と庭に向かってるのを見つけたのです。
どうしてこんなことになっているのかはわかりませんが、急いでその跡を追います。普段こんなに慌てて歩くことはないので、はたから見ればひどく不格好な様子でしょう。
けれどもそんなことにこだわっている場合ではありません。
私の金魚。美しい金魚。本当は私がそうなりたかったの。どうかもう一度その美しいダンスを見せて……
すでに水跡は見えないものの、どうにかして諦めきれない私の足は庭へと進みます。けれど庭の芝は私の足に容赦なく襲い掛かり、つんのめり、転がりました。お茶会のためのドレスもすっかり汚れてしまいました。
けれど、どうか、どうか。その思いで前を向いたとき、見覚えのあるブロンドの髪が見えたのです。
「アルフレッド様……」
何かを隠すかのように両手を合わせてたたずむアルフレッド様。私に声をかけられてビクリと体を震わせた、その手からは赤いひれが零れていたのです。
「クリスティーナ、これはっ……」
慌てて私の名を呼ぶアルフレッド様でしたが、私の耳にはもう何も入ってきませんでした。
私の金魚。無残な金魚。あの、動かなくなった金魚は、私そのものだ。
―――いやぁああああっ!
どこにこんな声を出せる力があったのかわかりませんでしたが、とにかく、とにかく悲しかったのです。そして、憤ったのです。
「どうして金魚を殺してしまったの?アルフレッド様の眼の端につくのもお嫌でしたか?ねえ、どうして、どうして……そんなに私が嫌いなのなら……」
私を殺せばよかったのにっ……
そう叫んで崩れ落ちる瞬間、アルフレッド様の歪んだ顔と今にも泣きだしそうな緑瞳が映りこんだのでした。
その後のことは覚えていません。
少し後になって、お茶会は私の体調不良で中止になったこと、そしてあの時の本当のことを教えてもらいました。
侍女のケイトがサンルームの空気の入れ替えの時にその場を離れてしまったこと。戻った時には、外から飛び込んできた猫に金魚がいたずらされそうになっていたので、慌てて撃退しようとして鉢を割ってしまったこと。そしてその猫が金魚を咥えて走り去ってしまったこと。それらをケイトが泣きながら侍女頭に話したそうです。
なんとか金魚を取り返そうと猫を追いかけた先で、アルフレッド様がその泥棒猫を追い払い、可哀そうな金魚を拾いあげてくれたのだとも話してくれました。
でも私はその話を聞いても、どうしようなどとも全く思えませんでした。
私の金魚は死んでしまいました。
私の恋は殺してしまいました。
全部。全部。全部。全部。全部私が悪いのです。
もうただそこにいるだけのものでいいの。
違う、本当はアルフレッド様に謝りたいのにこれ以上嫌われるのが嫌で動けないの。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。