金魚姫

 日がな一日ぼうっと過ごす私の元に、久しぶりだとお祖父様が遊びにきてくださいました。なんとか笑顔を作り出そうとするのだけれど上手くできない私を抱きしめ、大きくなったなと笑いかけてくださいます。
 
「最近は膝が痛くて杖が離せん」
「まあ、お義父様大丈夫ですか?」

 心配そうにお母様が声をかけます。お祖父様はそんな声に楽しそうに応えるのです。

「ああ、折角だから好みの杖を作らせた。握りの部分に特別な彫りをいれたんだ」

 どうだ、うちの金魚だ。可愛いだろう?そう言って、私によく見えるようにと杖を手渡してくださいます。そこには、とても可愛い金魚が泳いでいました。でも、あまり似てはいないようです。首をかしげる私に、はっはっは、と笑いながらおっしゃります。

「あまりそっくりにすると繊細過ぎてすぐに壊れてしまうからな。適当に大雑把なぐらいで丁度いいんだよ」

 なあ、ティナ。そう私に向かって言葉を続けます。

「この歳にもなると皆、膝やらなんやら動かなくなってくるもんだ。たかだか五十年、そんなもんで皆同じようになる。気にするな、あと四十もすりゃあ皆足の動かんじじいとばばあばかりだ」

 でもな、生き生きしたじじばばの方が、死んだ目をしたじじばばよりもずっと楽しいぞ。そうお道化て話すお祖父様に、お母様がまあなんてことを言うのです。と叱りつけました。
 首をひょいっとすくめて舌を出す姿はとても公爵様にはみえません。
 ふふ。それがあんまりおかしくて思わず笑っていました。お母様はそんな私を見て驚き、少し泣いてしまいました。

「ティナ、それでいい。どんなにつらいことがあっても、心を止めてしまってはダメだ。怒ってもいい、泣いてもいい。そしてぶつかるんだ。それでも疲れてしまったら、」

 わしの金魚を思い出せ。お祖父様はそうおっしゃりました。

 お祖父様の金魚。特別な金魚。尾びれの綺麗な綺麗な赤い金魚。

「あれはな、すり鉢の中、休むところがない中、ずっと泳ぎ続けるんだ。だからこそ、あの素晴らしく大きな尾びれを振り回して泳ぐことが出来るようになるんだよ」

 ずっと。ずっと、泳ぎ続けているのですね。

「お前の足は、人よりちょっと不自由かもしれない。だが、笑って、泣いて、怒って、そして人を愛すること。それは足なんて動かなくてもできる――――」

 心は、自由だ。大きく、美しく、泳ぎなさい。




 お祖父様が遊びにきてくださったあの後から、私は少しずつ、少しずつですが自分から動くようになりました。アンジェお姉さまとキャスからの散歩のお誘いを受けたり、お母様と馬車で屋敷外へ買い物など、今まで足を理由に全部断っていたことをやってみようと思ったのです。
 思うように簡単には動けません。けれども、自分のペースでゆっくりとでも動いていけばそれなりにはなんとかなるものです。
 屋敷の外ではやはり心無い視線を受けたり、当て擦りも聞こえてきましたが、自分から進んで動いていると、不思議と段々気にならなくなってくるのでした。




 そうした日々を過ごすうち、気が付けば私は十五の誕生日を迎える歳になりました。

「ティナ、少しダンスの練習を増やそうか」
「お父様、……ダンスですか?」
「ああ、シーズン始めにはお前の社交デビューを控えているからな」

 社交デビュー、それは私が小さい時から憧れて、でも諦めていた夢のような舞台。あの頃は、本当に何も出来ない自分に悲観し、頑なに殻に閉じこもっていました。
 けれどあの事があってからというものは、やれること、やりたいことを少しずつ始めることにしたのです。皮肉なことですが、ダンスの練習もその一つでした。

 私のこの足で踊るダンスは、まだまだ全く人前で見せられるような出来ではありません。習いたての子供のようなダンス。きっと笑われるわ。それでも、心に問いかけるのです。どうしたいの、クリスティーナ?と。
 
「そうですわね、お父様。お願いします」

 ニコリと笑い、返事をしました。お父様も笑顔を返してくださいます。

「じゃあ先生に頼んでおこう。楽しみだな、ティナ」
「ええ。お父様、デビューは一緒に踊ってくださるんでしょう?」
「勿論だ。アンジェも私がお相手した。ティナもキャスも私と踊るんだよ。娘たちのデビューダンスは父親の特権だ」

 そう言って、お父様は胸を張りました。お母様はそんなお父様を見ておかしそうに微笑んでいます。アンジェお姉さまと妹のキャスが私のドレスについてああでもないこうでもないと賑やかに話します。

 そんなとてもおだやかな午後のひと時の中、ふと、ブロンドの髪に泣きそうな深緑の瞳が、思い浮かびます。あれ以降、お茶会にも一切参加されなくなったあの人はどうしているでしょうか。

 あの頃からすでに溌溂とした美しさを持っていたアルフレッド様には、もう隣に立つ方がいるのかもしれません。もし、そんな姿を社交場で見かけてしまったら、そう思うと胸の奥がチリチリと痛みます。

 自分で殺してしまった恋心。なのにいつまでたっても弔うことができません。

 ですがもし、彼とすれ違うことができるのだとしたら、どうか心やすらかにいられますように、そう願うばかりです。


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