あなたの世界にいた私
看護師は、すぐに病室から出ていった。
少しして、また誰かが入ってくる音がした。
「雪乃、大丈夫?」
聞き覚えのある声に、布団からそっと顔を出す。
「⁉…お母さん?え、どうして?………仕事は?」
「今日は休みなの。それより、熱下がらないんだって?」
「…うん」
私がそう答えると、
お母さんは何も言わずに、ベットの横にある椅子に腰かけた。
「あ、リンゴ持ってきたの」
そう言って、袋から真っ赤なリンゴを一つ取り出した。
「…食べたい」
「うん、すぐ皮剥くわね」
今まで全く食欲がなかったのに、
お母さんが持ってきたリンゴを見ると、
なぜか食べたくなった。
隣でリンゴを剥くお母さんに目をやる。
目の下には、クマができていて、少し痩せた気がする。
「…ごめんね、お母さん」
「何?どうしたの、急に」
そう言って、心配そうに私を見つめる。
「ううん、なんでもない。
いつもお仕事お疲れ様。後、ありがとう」
私がそう言うと、
お母さんは疲れた表情なんて一切見せず、笑顔で頷いた。
そんなお母さんの笑顔、好きだな、と心の中で思ったが、
それを口にすることは、恥ずかしくて出来なかった。
「はい、沢山あるから食べて」
「うん、ありがとう」
そう言って、リンゴを口にする。
「…美味しい」
「でしょ!
ここに来るとき、このリンゴに足を止められたのよね」
「何それ」
そう言って、お互い笑っているはずなのに、
私を見るお母さんの表情からだんだん笑顔が消えて、私に聞くんだ。
「…どうしたの?どこか、痛い?苦しい?」
焦ったように聞いてくるお母さんに、
無理やり作った笑顔を向けて、首を横に振る。
私でも、どうして泣いてるのなんか分からなかった。
ただ、お母さんには言っておきたい。
「…ごめんね、なんか…今、幸せだなって思って」
私が泣いたのは、苦しいからとか、悲しいからとかじゃない。
お母さんに久しぶりに会って、リンゴを食べただけなのに、
胸がポカポカして、お母さんの温もりにずっと触れていたいと思った。
「お母さんも、雪乃がいるから幸せよ。
仕事だって、頑張れるしね」
そう言って、私の涙をそっと拭ってくれた。
「お母さんもリンゴ食べよっかな」
「うん」
その後、二人で真っ赤なリンゴをペロリと平らげ、
お母さんは、包丁とお皿を洗いに病室を出た。