夜空へ虹の架け橋を
第六章 ロング・ラストレター
1.約束のトンボ玉
―― ××××年 ×月×日 ――
――心地よい振動。
小さな窓から吹き抜ける風が、優しく頬を撫でている。
快適なシートに揺られて、いつの間にか眠ってしまったらしい。
どれくらい眠っていたんだろう。
よほど熟睡していたのか、いまいち記憶がおぼつかない。
しかし、まぶたの裏側にまで射し込んで来る夏の日差しは、また夢の世界へ戻ろうと踏ん張るわたしの睡魔を容赦なく奪っていく。
「うぅ……ふあぁ……」
なんとなく聞き覚えのある奇妙なうめき声と共に重いまぶたを持ち上げると、霞んだ声がそろそろと頭の中へにじり寄ってきた。
「……さん! お客さん!」
黒い帽子を被り、きれいな白シャツに身を包んだ男性がわたしの肩を揺さぶっている。
「お客さん! ボタン押したでしょう? 降りるんじゃないんですか? 起きてください!」
その声にはっとすると、こちらを訝しげに見ている数人の乗客が視界に映り、その向こうで紫の降車ボタンが点灯していた。
……バス? 降車ボタン、わたしが押したの?
「こ、ここは……?」
「バスの中ですよ。ここまでの行きかたを僕に訊いたじゃないですか。早く降りないと、もうバス出しますよ」
「あ、すみません。すぐ降ります」
なんとなくわたしが迷惑をかけている、ということは理解できたので、カバンを抱えて慌ててバスを降りると、バスは大きなエンジン音を立てて走り去っていった。
おかしいな、さっきまで電車に乗っていたはずなのに。
それに、みんなどこに行っちゃったんだろう。
ひとつずつ甦る記憶を脳内で繋ぎ合わせてみるが、それがうまく噛み合わない。
旅行最終日の昨夜、みんなで夜更かしをしていたにも関わらず、わたしは明け方結弦と一緒に朝日を見に行った。
おかげで寝不足だったのか、帰りの電車に乗り込むと発車してすぐに眠ってしまって、そこから先の記憶はない。
なのに起きたらひとりでバスに乗っているだなんて。
そういえば旅行カバンはどこ?
代わりに抱えているのは、懐かしいけれど見慣れた小さなカバンだ。
でもなにかおかしい。このカバンを買ったのは社会人になってからなのに。
――あれ? 社会人って、どういうことだろう?
高校生のわたしに社会人の記憶が備わっているなんて、狐につままれるとはまさにこのことだ。
そこに、茂みの奥から狐ではなく見慣れた猫が姿を見せた。
「ナーオ」
聞き覚えのある鳴き声。
どこから来たのか、いつもの黒猫がバス停の横でお座りをしている。
「あなた、どこにでもいるんだね」
おぼろげだけれど見覚えはある。
駅のホーム、オムライス屋さんの前、神社の境内、最後は葵の家で現れた黒猫だ。
猫とはいえ知った顔に出会えるとほっとする。
黒猫はバス停の標識を見上げてナアナアと鳴いていた。
標識には大きく【七色】という文字が書かれていた。その向こうの崖下には、周囲を緑の木々に覆われた湖が雄大に広がっている。
えっと、確か、ここに来たのは慰霊碑に行こうとして……。
あぁ、まだ記憶が曖昧でちぐはぐだ。
これじゃあ堂々巡りじゃない。
慰霊碑ってどういうこと?
そもそも今日ここに来たとしたら、今朝旅館で目が覚めた記憶はなに?
夢だったってこと?
なにが夢で、なにが現実かわからない。
そうだ、日付。今日の日付は?
日付を確認して結弦に電話しよう。
そうしたら、今わたしがここにいる理由もわかるかもしれない。