その涙が、やさしい雨に変わるまで

1*辞職願、受理されず

「これは、一体どういうこと?」

 今さっき三琴(みこと)が提出した辞職願を手にして、瑞樹(みずき)はあからさまに不満顔になる。「退職願」の文字を認めても、彼は中を(あらた)めることはしなかった。
 この瑞樹の顔は、厳しい仕事の判断を下すときの顔。五年間、瑞樹のそばで働いていた三琴には、おなじみの仕事に厳しい副社長の表情である。
 よりによってそんな顔を、秘書の辞職願ごときに向けないでほしい。
 予想と違っていて退職願が受理されず、三琴はやや焦る。自分の存在は社の中で絶対的な立場でなければ、すんなりと辞職できると思っていたからだ。

「はい、いろいろ検討した結果、これが一番妥当だと判断しました」

 執務机に着く瑞樹の前で、できるだけ冷静に三琴は告げた。
 視線の位置関係で、いまは秘書の三琴が副社長の瑞樹を見下ろしている。この構図だと三琴のほうが心理的に有利なはずなのに、どうもそうなっていない。見上げる瑞樹のまなざしが鋭すぎて、三琴は校長先生の前に立つ小学生の気分である。

「検討? 何を?」
 あきらかに不満の混ざった瑞樹の声。端正な顔つきの瑞樹に凄まれて、三琴は背中が凍り付きそうになる。
「はい、最近の業務内容が自分の能力を超えてしまったようで、もうこれ以上、社に貢献ができそうにありません」
 詰問の迫力に押されて、指先だって冷たくなっていく。
 それを認めながらも、負けじと三琴も強情さを演出した。

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