その涙が、やさしい雨に変わるまで

 その三琴の待ち人だが、彼は同じ社の人間で、三琴と同じフロアで働いている。同僚らの目があって、ふたりは極秘交際を続けていた。
 その徹底ぶりは甚だしく、ふたりとも友人に「付き合っている人はいない」で通していた。交際相手の慎重さがそのままプライベートな交際にも適応されていたのだ。

 この上もなく秘密な交際だが経過は順調、付き合いはじめて一年になろうかという頃、三琴はプロポーズされた。
 ずっと秘密にしてあったふたりのことを、明るい太陽の元で公開できる日が、ついにきたのである。

 結婚に向けての第一歩となる恋人のご両親へ挨拶へ伺う瞬間を、緊張しながら三琴は待っていた。
 カフェの席で数時間後に行う挨拶の言葉を一生懸命に考えながら、時間になっても現れない恋人をいつまでも三琴は待っていた。
 同時刻、その恋人が転落事故に遭い、待ち合わせ場所にこれなくなったことなど知らずに。
 その恋人が怪我を負っただけでなく、記憶まで失ってしまったことも、このときの三琴は知らなかったのである。

 †


――会長から次は男性秘書をお願いするようにいわれています。
――早急に男性の後任を決めてください。

 今になって三琴は、会長夫妻が自分のことを「あまり好ましくない存在」と思っていたのを知る。
 そりゃそうだろう、結婚を決めた息子のそばに独身の女性秘書がいることは、あまり良いようにはいわれない。普通なら。

(そうか、会長もそういっているんだ)
(会長も、もっと早くいってくれてもよかったのに)
(あ、でも、息子が結婚するから辞めてくれ、なんていえないよね。それこそ不当解雇で、コンプライアンスに引っかかる)

「以上、急な人事異動になりますが、対応をお願いします」
 ビシッと瑞樹は、副社長の威厳で場を締めたのだった。

 こんなふうにして、三琴は副社長執務室を出て受付業務につくことになった。
 退職こそはできなかったが、瑞樹のいない部署へ異動が決まったのである。


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