その涙が、やさしい雨に変わるまで
 いつの間にか日没時間を過ぎた副社長室前室は、ずいぶん暗くなっていた。三琴を呼びつけたときは、黄金色のどこか懐かしく、光り輝く部屋であったのに。
 それに比べて今の部屋はどうだろう。沈んだ色の陰鬱な影が大きく広がっている。まるで、今の自分の気分を象徴しているかのようだ。

(今の、自分の気持ち?)
(松田さんに捨て台詞を吐かれて、見送るしかできなかった自分の……)
(今の……気持ち……)

 しばらく明かりもつけず、瑞樹は佇んでいた。この部屋の主の本多は退勤していない。だから、誰も明かりをつけない。
 ふうとため息にも似た息をついて、瑞樹は退社の準備をはじめたのだった。



 帰宅の副社長専用車の中でも、瑞樹は夕方の三琴のことを思い返していた。時間が経てば、少しだけ冷静に戻れた瑞樹がいた。冷えた頭で、ヒアリングを分析する。

 受付嬢の制服姿で現れた三琴は秘書時代とは別の魅力があった。だが同時に、他部署の社員なのだとはっきりと意識させられて、遠くにいってしまった感もあった。
 三琴本人の意思とは別に辞職に難癖をつけてスッパリ辞めさせなかった張本人は、瑞樹である。自分でやっておいて、「遠くにいったようで寂しい」なんて、ひどく勝手だなと思う。

――あなたは、これから美沙希さんと結婚するのでしょ!
 確かに僕は結婚する。事故現場で救護してくれた美沙希と。大げさかもしれないが、彼女は命の恩人だ。
 それはそれとして、結婚のことは非公開で秘書に伝えてあったのだけど、なぜ今日のヒアリングの場で美沙希の名前が出てくるのか?
 秘書時代の冷静沈着な彼女からは、考えられないくらい感情的なセリフであった。

――辞めていく私のことなんて、もうどうだっていいじゃないですか!
 僕はただ、自分の至らなさで去っていくに三琴に、せめてもの(はなむけ)をと思ってのヒアリングだったのだが、余計なお世話だったらしい。
 今さらだが、もっと考えてみれば脩也から電話をもらった段階で気がついていてもよかった。

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