その涙が、やさしい雨に変わるまで
「ごめんなさい。ごはん、持ってないから」

 思わず三琴は鯉に謝る。肩にかけた鞄を餌袋と勘違いしていると、思ったのだ。
 鯉に対するこの三琴の姿に、瑞樹は苦笑する。なにも、鯉にそう丁寧に謝ることはないだろうに、と。

「おかしかった、ですか?」
 振り返り瑞樹の顔をみれば、やわらかな表情の瑞樹がいた。恋人だったときの彼だ。スーツ姿でない瑞樹をみるのは一年ぶり以上で、心を許した顔を見つけたのもそう。
「いや。それも三琴らしいなと」

 この庭が懐かしくて、三琴は断りを入れることなく先を歩いていった。それを瑞樹が追いかける。これはかつての恋人のときのふたりの姿だ。二年前の恋人時代に戻ったかのような錯覚しかない。そのせいで三琴は無意識のうちに「副社長」でなく「瑞樹さん」と呼び掛けていた。
 これに、瑞樹のほうも訂正を求めたりはしない。彼のほうも「松田さん」でなく「三琴」と呼び返していた。

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