その涙が、やさしい雨に変わるまで
 用意してきた傘を、三琴は広げる。岸辺で鯉と問答していた瑞樹を、秘書のときのように傘下へ入れる。
「ありがとう。用意がいいな」
「いえ、秘書ですから。副社長、いつもいってますよね。気になることは、その都度対応が基本って。今日みたいな天気は傘は必須です」
 基本、副社長室前室で待機している秘書業務だが、ときには一緒に外へ出ることがある。天気を調べて傘を用意するのは当たり前。できる限り瑞樹が濡れないようにするのも当たり前。どれも大事な秘書業務である。

 雨はばらばらと降り注ぐ。
 本格的に降りはじめれば、水面がみるみるうちに白く煙っていく。紫陽花の庭は霧の庭へと変わっていった。
 傘の下で並んで池をみていれば、対岸のモミジはもうわからない。雨粒が作る波紋はさらに増えていて、すっかり別の模様を水面に描いていた。

「三琴、濡れているぞ」
 そういって、瑞樹は三琴の肩を引き寄せた。弾みでそばの紫陽花の葉に貯まった雫がこぼれる。
 今日持ってきた傘は、三琴の私物だ。女物であれば、社で使っているような大振りなものではない。秘書の癖で瑞樹を優先していれば、どうしても三琴は傘の外に出てしまう。それに気付いての瑞樹であった。

 力強い手に引き寄せられて、どきりとする。
 傘を差しだす段階から三琴はドキドキしていたのだが、これはもっと距離が近い。心臓が、一度にやかましくなる。
 触れる瑞樹の手のひらから熱が伝わってくる。懐かしいぬくもりだ。
 梅雨の蒸し暑い時期ではあるが、日によっては肌寒く感じる。まさに今がそれで、この雨は人恋しさを必要以上に掻き立てた。
 最後の最後でこうして大事にされることに、三琴は泣きたくなってきた。

 動揺を悟られないように、三琴は切り出した。
「鑑賞会は終了ですね」
 雨はテラスへ戻るのはいい口実となった。タイムリミットも近ければ、この流れにのって書類を手渡し、自然に退場することができる。
「そうだな。でも、今日は、別のいいもの(・・・・)がみれた」
「?」
 紫陽花の庭の鑑賞会の終わりを認めても、瑞樹は一歩も動こうとしなかった。

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