その涙が、やさしい雨に変わるまで
ざあざあと、雨がふたりに打ち付ける。降りはじめからそう時間が経っていないのに、ふたりともずぶ濡れ寸前だ。
夕方のヒアリングと違って追いかけられたことに少し三琴は恐怖したが、対峙してその瑞樹の顔をみれば、腑に落ちるものがあった。なんといえばいいのだろうか、小さな子供が留守にする母親を追いかけるような、必死の表情だ。
創業家の一員として兄弟で社を盛り上げていくつもりでいたのに、兄脩也は離脱した。どこまでもついてきてくれると思っていた秘書が辞めていく。ずっと一緒に仕事をし、成功を分かち合うものと信じ切っていたふたりが去っていく。
裏切られた、ひとり残された――そんな不安な気持ちになったのだろう。
雨も降れば、視界も暗い。舞台としてはこの上もなく心細さを助長する。そう思い至れば、今の瑞樹の焦りが理解できた。
「大丈夫ですよ。瑞樹さんには、美沙希さんがいるじゃないですか!」
明るい声で、三琴はいった。
「三琴?」
大きく瑞樹は目を見開いて、三琴をみた。
「いいですか、お薬はちゃんと飲んでください。容量は美沙希さんがきちんと計算していますので、飲みすぎるなんてことは絶対起こりません。我慢しないで、遠慮なく飲んでください」
しっかりと瑞樹の目をみて、三琴は告げた。
「……三琴」
「美沙希さんと結婚したら、仕事の仕方を変えてくださいね。瑞樹さんはワーカホリックなところがあるから、叱られますよ」
ここは口元に笑みをのせて、おどけていってみる。母親が子供に納得してもらうように。
「では副社長、失礼します。本日はありがとうございました」
再び、会釈をする。
今度は瑞樹の横を通って、三琴は退場する。雨に打たれているけど、走ったりしない。
――本当はもっと違うことを話したい。
――お薬、飲んでいますか? 容量を気にして、必要以上に我慢しないでくださいね。
――結婚したら、仕事の仕方は変えてくださいね。瑞樹さんは、ワーカホリックなんだから。
夕方のヒアリングで伝えたかったことを、ここで告げることができた。
ゆっくりとテラスエリアまでの階段を上る。背後から瑞樹が追いかけてくる気配がなければ、終わったのだと思う。肩の力が抜けてくる。
口の中では、まだ舌の付け根がじんと痺れている。苦い痺れが愛おしくもあれば、こんなことを三琴は考える。
(瑞樹さん、傘は捨てても封筒は持っていた)
(あの封筒、くちゃくちゃだったけれど、離さないところはさすがだわ。業務が第一の瑞樹さんらしい)
(やっぱり好きになった人は、素敵な人だった)
雨に打たれてとっぷり失恋に浸るのは、映画みたいだ――今は、そんなシチュエーションに酔うのも悪くない。一度も振り返ることなく、三琴はデルリーン・リッツ&コートヤードをあとにしたのだった。
夕方のヒアリングと違って追いかけられたことに少し三琴は恐怖したが、対峙してその瑞樹の顔をみれば、腑に落ちるものがあった。なんといえばいいのだろうか、小さな子供が留守にする母親を追いかけるような、必死の表情だ。
創業家の一員として兄弟で社を盛り上げていくつもりでいたのに、兄脩也は離脱した。どこまでもついてきてくれると思っていた秘書が辞めていく。ずっと一緒に仕事をし、成功を分かち合うものと信じ切っていたふたりが去っていく。
裏切られた、ひとり残された――そんな不安な気持ちになったのだろう。
雨も降れば、視界も暗い。舞台としてはこの上もなく心細さを助長する。そう思い至れば、今の瑞樹の焦りが理解できた。
「大丈夫ですよ。瑞樹さんには、美沙希さんがいるじゃないですか!」
明るい声で、三琴はいった。
「三琴?」
大きく瑞樹は目を見開いて、三琴をみた。
「いいですか、お薬はちゃんと飲んでください。容量は美沙希さんがきちんと計算していますので、飲みすぎるなんてことは絶対起こりません。我慢しないで、遠慮なく飲んでください」
しっかりと瑞樹の目をみて、三琴は告げた。
「……三琴」
「美沙希さんと結婚したら、仕事の仕方を変えてくださいね。瑞樹さんはワーカホリックなところがあるから、叱られますよ」
ここは口元に笑みをのせて、おどけていってみる。母親が子供に納得してもらうように。
「では副社長、失礼します。本日はありがとうございました」
再び、会釈をする。
今度は瑞樹の横を通って、三琴は退場する。雨に打たれているけど、走ったりしない。
――本当はもっと違うことを話したい。
――お薬、飲んでいますか? 容量を気にして、必要以上に我慢しないでくださいね。
――結婚したら、仕事の仕方は変えてくださいね。瑞樹さんは、ワーカホリックなんだから。
夕方のヒアリングで伝えたかったことを、ここで告げることができた。
ゆっくりとテラスエリアまでの階段を上る。背後から瑞樹が追いかけてくる気配がなければ、終わったのだと思う。肩の力が抜けてくる。
口の中では、まだ舌の付け根がじんと痺れている。苦い痺れが愛おしくもあれば、こんなことを三琴は考える。
(瑞樹さん、傘は捨てても封筒は持っていた)
(あの封筒、くちゃくちゃだったけれど、離さないところはさすがだわ。業務が第一の瑞樹さんらしい)
(やっぱり好きになった人は、素敵な人だった)
雨に打たれてとっぷり失恋に浸るのは、映画みたいだ――今は、そんなシチュエーションに酔うのも悪くない。一度も振り返ることなく、三琴はデルリーン・リッツ&コートヤードをあとにしたのだった。