その涙が、やさしい雨に変わるまで
 カチコチに固まる三琴を認めて、苦笑しながら瑞樹はいう。
「もちろん、三琴が嫌であれば無理強いはない。……が、その前に僕のほうがタイムリミットだ」
「え?」
 タイムリミットといわれて、はっと三琴は気がついた。
 副社長ともあろう者が、私用でここにくるわけがない。出国ゲートを超えた先へ、見送り客は入れない。となれば、瑞樹もこれから海外のどこかへ飛ぶのだと。

「あの、副社……」
 役職名を口にしたら、ぎろりと瑞樹が睨む。
(あ、そうよね、もう部下じゃないし)
 即座に三琴は呼称を変えた。
「じゃなくて、黒澤さんは、どちらへ?」
 名字で問いかけても、やはり瑞樹は不機嫌顔のまま。
(あれ? 黒澤さんもダメなの?)
 役職名がダメで、名字がダメでとなると……
「三琴」
 三琴が悩めば、瑞樹が先に声掛けをする。瑞樹は「三琴」と何度も呼ぶ、「松田さん」ではなくて。
 覚悟を決める。視線を一度、瑞樹に戻してから再び外す。視界から瑞樹の姿を消しても、頬の熱は健在だ。赤くなったまま、三琴は小さく訊いた。
「瑞樹さんは、どちらへいかれるのですか?」

「フランクフルトだ。菱刈さんといろいろ相談してくるよ」
 瑞樹の行き先は、ヨーロッパ事業所であった。
 何気にフライトインフォメーションボードをみれば、瑞樹の搭乗口はここからかなり離れた位置になる。移動距離を考えると、もう限界は本当だった。
「そうですか。菱刈さん、安心すると思います」
「ついでに、いろいろ整えてくるよ」
 いろいろ整えてくるとは、あの新事業のことに間違いない。菱刈の企画が、正確には瑞樹が立てて記憶喪失で放置となったものなのだが、ちゃんと陽の目を浴びていた。
「はい、どうぞ思う存分に頑張ってきてください」
 瑞樹は立ち上がる。三琴も立ち上がり、あらためて見送りをした。

「あ、そうだった。緊張もしていれば、順番も変わってしまって、肝心なことを忘れるところだった」
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