その涙が、やさしい雨に変わるまで
 いざ一歩を踏み出そうとした瑞樹が、三琴に振り返る。
 まだ何かあるのだろうか?
 きちんと三琴の正面に立ち、コホンと小さく息をついて瑞樹は丁寧に切り出した。
「『もうひとつの知らないこと』を教えてもらう前に、こちらの『知らないこと』を教えないとフェアじゃないから……」

(こちらの『知らないこと』?)
(それって、私が(・・)『知らないこと』かしら?)
(でも、そんなもの、あったかしら?)

 今日の瑞樹のやることなすこと、どれもが三琴の想定外だ。日本を離れる最後の最後まで、三琴は瑞樹と彼のなくなった記憶に翻弄されていた。
「美沙希さんとは婚約解消した。解消理由は、性格の不一致ということでお互い同意したよ。三琴から資料をもらったあの日は、実は弁護士を交えての協議日だったんだ」

 このセリフに、三琴は頭が真っ白になる。
 あの雨の日は、てっきり自分とのあとに美沙希と結婚準備をすると思っていた。だが、正反対のことが行われていた。
 あんなに仲良くしていたのに、弁護士を入れての協議とは!
 一体ふたりの間で何が起こったのか?

「それを踏まえて、極めて勝手で、傲慢であるのを承知してお願いする。僕と、付き合ってもらえないだろうか? もちろん上司部下など取り払って、一社会人としてのお付き合いということで」
 
 信じられないセリフが、三琴の耳に飛び込んできた。
 僕と、付き合ってもらえないだろうか?――それは、瑞樹が副社長に昇格した日に三琴にささやいたものだ。
 瑞樹が記憶をなくす前にまで時間が巻き戻ったかのような錯覚に襲われる。

 目が丸くなる。思わず三琴は訊き返した。
「み、瑞樹さん、思い出したの?」
pagetop