その涙が、やさしい雨に変わるまで
 三琴自身は、あの新企画は単なる事業拡大だと思っていた。でも瑞樹の話をきくと、たくさんの目的を持って立てていたものとわかる。
 社風に関しては菱刈もそんなことをいっていたし、海外拠点が増えることは両親と喧嘩している脩也がいざというときの日本以外の拠り所にもなる。将来的には家族の和解を目指していたやさしい瑞樹の願いが、その企画に込められていた。

 今のところ、その企画は準備段階で一般にも社内にも公開されていない。公開されれば、社の体制が大きく変わる。プレスにも大きく取り上げられるだろう。
 でもそんな企業再編のきっかけが、もともとは自分との結婚のためだったなんて……
 話が進むにつれて、恐れ多すぎて三琴は恐縮してしまう。

「ところで、ヨーロッパ事業所にはきてくれる?」
 一連の説明が終わったところで、瑞樹が確認した。
「それは、秘書として、ですか?」
 転職相談の流れから、何気に三琴は答えた。契約終了の二年後に、秘書で会社復帰できれば三琴としてはありがたい。
 だが、瑞樹の要望はこうだった。
「秘書でもいいけどセクハラ案件になりそうだから、できれば奥さんとして」

 窓の向こうではまだ雨が降っている。予報では雨のち晴れだけど、それが当たるかどうかはわからない。だけどその雨は、紫陽花の庭で遭遇したような激しいものではない。乾いた空気や大地を潤すやさしい雨だ。

 二度目のプロポーズに、三琴の息が止まる。
 前回は、プロポーズ直後に瑞樹は記憶を失った。今回だって結婚までに二年も猶予があって、また同じことが起こらないとも限らない。奇妙なトラウマができあがっていた。
「また僕が記憶喪失になることを恐れている?」
 ずばりの心境を当てられて、三琴は紙コップを包む手元へ視線を落とす。

「もしそうなったら、また一からやり直すだけだけど。あらかじめ周りに公言しておけば、大丈夫じゃないかな? もう社長と本多さんには知らせてある」
 瑞樹は、三琴がもう社内の人間ではないからと正々堂々と交際宣言をしていた。今の三琴と瑞樹は、極秘交際ではなくなっていた。

「あとは……なんとなくだけど、忘れてしまっても、きっとまた僕は三琴のことを好きになっていると思うよ」
とやさしい目をして、瑞樹が告げる。
 そして、そっと三琴の肩を抱き、さらに手も包む。ふたりの手に包まれた紙コップができていた。

――忘れてしまっても、きっとまた僕は三琴のことを好きになっている。

 もう泣かないと決めたのに、三琴の瞳にうっすらと喜びの涙が浮かび上がってくるのだった。




――Fin――
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