その涙が、やさしい雨に変わるまで
辞職理由は絶対に訊かれることだから、さんざん三琴は考えて用意してあった。
三琴は独身だが、結婚して辞めていくのではない。またシングルマザーでもなければ、子育てによる理由は使えない。ただの独身女性の三琴が口にして一番自然な理由は「与えられた業務がこなせない」、これに尽きる。
直属の上司が「もう無理です」と訴える部下の対応を間違えれば、それは過剰労働を強制したパワハラになる。コンプライアンスを重視する企業ならば社員の辞職理由を深く詮索しないはず、そう三琴は自社のことを分析して立てた作戦であった。
「そうはいっても……松田さん、あなたは自分の業務をどこまで知っていますか?」
瑞樹の不満混じりの声が、困惑混じりのものに変わる。彼の中で、「退職願」に対する姿勢が切り替えられた瞬間だった。
「え? 私の、ですか? 秘書課で秘書業務をしていただけです。技術者のような専門職ではありません。私が辞めても代わりの人材はいくらでもいるかと……」
「いやいや、松田さんは研究開発部所属ではないけれど、納品先や業務提携先のこと、新商品関連のこと、水面下の研究開発案件のこと以外にも財務関係のこととか、社の情報を全く知らないというわけではないでしょう?」
瑞樹の秘書に配属されて、五年。そう指摘されると、全く知らないとはいえないことに三琴は気がついた。
実際、来月の新作発表会の副社長の予定をアレンジしたのは三琴である。単なるスケジュール調整といえばそうだが、新作発売日とそのプレゼン内容をいくらか知っていれば、三琴がインサイダーでないといい切れないのだ。
(あー、この点は、うっかりしていた……)
三琴は独身だが、結婚して辞めていくのではない。またシングルマザーでもなければ、子育てによる理由は使えない。ただの独身女性の三琴が口にして一番自然な理由は「与えられた業務がこなせない」、これに尽きる。
直属の上司が「もう無理です」と訴える部下の対応を間違えれば、それは過剰労働を強制したパワハラになる。コンプライアンスを重視する企業ならば社員の辞職理由を深く詮索しないはず、そう三琴は自社のことを分析して立てた作戦であった。
「そうはいっても……松田さん、あなたは自分の業務をどこまで知っていますか?」
瑞樹の不満混じりの声が、困惑混じりのものに変わる。彼の中で、「退職願」に対する姿勢が切り替えられた瞬間だった。
「え? 私の、ですか? 秘書課で秘書業務をしていただけです。技術者のような専門職ではありません。私が辞めても代わりの人材はいくらでもいるかと……」
「いやいや、松田さんは研究開発部所属ではないけれど、納品先や業務提携先のこと、新商品関連のこと、水面下の研究開発案件のこと以外にも財務関係のこととか、社の情報を全く知らないというわけではないでしょう?」
瑞樹の秘書に配属されて、五年。そう指摘されると、全く知らないとはいえないことに三琴は気がついた。
実際、来月の新作発表会の副社長の予定をアレンジしたのは三琴である。単なるスケジュール調整といえばそうだが、新作発売日とそのプレゼン内容をいくらか知っていれば、三琴がインサイダーでないといい切れないのだ。
(あー、この点は、うっかりしていた……)