その涙が、やさしい雨に変わるまで
 今のところ、まだ話は三琴の退職へ向かっている。
 この流れに乗って辞職願を受け取ってもらいたいが、これを決定づける次の一手が見つからない。意図せず、三琴は黙り込んだまま。

 しばらく、奇妙な沈黙が副社長執務室を支配した。
 この沈黙を破ったのは、瑞樹のほうだった。

「私からみて、松田さんがそんなふうに悩んでいるようにはみえなかったのだけど……知らないうちに松田さんに負担をかけていたのかもしれない」
 副社長の前で口をつぐむ三琴のことを、そう判断する。三琴の辞職理由は自分にあるのだと、瑞樹は認めたのだった。

「!」

 急に好転する状況に、思わず三琴は視線を瑞樹へ戻す。
 しかしそこにあるのは意見が一致して意気投合したときの顔ではなく、解決の糸口が見つからなくて困り果てた副社長の顔であった。

「…………」

 業務ではない余計な厄介ごとを持ち込んでしまった、いまさらながら「秘書の三琴」に罪悪感が湧いてくる。
 でもここで「撤回します」なんて、いってはいけない。この数カ月、悩みに悩んで決めた辞職なのだ。最後の最後で、困る副社長(ボス)の顔をみて、後ろ髪を引かれてはならない。
 進退についてひとり悶々と格闘する三琴とは別に、瑞樹はさっさと結論を出していた。短時間で問題を決裁してしまうところは、常に意思決定者であるがゆえの瑞樹のスタイルであった。

「嫌がる社員を引き留めても、ほかの社員にいい影響は与えません。松田さんのことは退職の方向で検討します。そのためには松田さんがインサイダーから外れないといけないのだけれど……」
 回り道しながらも、なんとか退職に向けて交渉が動き出した。

< 4 / 187 >

この作品をシェア

pagetop