その涙が、やさしい雨に変わるまで
「あー、もう、ダメダメ! 自覚なしも罪よねぇ~」
 彩也子には申し訳ないが、自覚も何もそんな恋バナ対象にされることがあるだなんて思ってもみなかった三琴である。

「でも、二ヶ月もすればいなくなるし」
 極めて現実的な、かつ夢のないことを三琴は口にする。
 この受付業務は辞職までの一時的なもの。いまは騒がれても姿がみえなくなれば、すぐに三琴のことなど忘れられてしまうだろう。

「それはそれで、危険かも」
「なんで? 社とは無関係になるじゃない」
「だからこそ、正々堂々ストーカーされそうじゃん! いい、松田さん、松田さんにはカレシがいることにしておきましょうね! 実際にお付き合いしている人が、いるいない関係なしに、ね!」

 かくて彩也子の提案で、三琴には屈強なカレシがいるということになった。さりげなく広めておくからとも、彩也子がささやく。
 「あほらし」と三琴は思うが、彩也子の剣幕がものすごいから承諾した。悪気があってのことでもないし、それで彼女の気が済むのなら、そうしておく。

「じゃあ、お昼は『デリシャス・スプーン』で待っているね」
「うん。わかった」

 本日は三琴も彩也子も昼休みがうまく重なって、ふたりで外ランチすることになっている。
 秘書課でいたときはランチに出ることはほぼ不可能だったので、『ランチで外に出る』というのを少し三琴はあこがれていたのだ。

(あれってさぁ~、いかにもビジネス街で働いています! って感じだよね)
(時間に遅れちゃう! ってのも、できそう……)
(うん、楽しみ!)

「松田さん、ちょっといいですか?」
 彩也子と別れて受付カウンターにつく。すぐに営業部の男性社員から声をかけられた。
「今日の……なんですけど、十時五十分に来社予定なんですが……、実はこの方はちょっと……なんです」
と、始業時間まえに本日の来客案内をもらう。なかなか癖のある取引先の情報だった。

 営業部から事前にこんな情報をいただけるのはありがたいなと思いながら、
「わかりました。十時五十分ですね。お越しになったら……」
と、三琴も確認をする。
「ああ、助かります。松田さん、それでお願いします」
 営業部のメンバーは、安堵した顔でグランドフロアをあとにしたのだった。
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