その涙が、やさしい雨に変わるまで
「返事はいつまでに?」
「明日の午前中にいただければ」
「ひと晩考えるよ」
「副社長、いま午前中にといいましたが、午後一時ぐらいまで大丈夫ですから」

 瑞樹が返事を保留にすると、本多は期限を延ばす。瑞樹が鎮痛剤を飲む回数を把握している本多は、前任秘書からもいわれているのだろう、ひどく心配性である。とても彼の気持ちが、よく表れているセリフであった。
 もう一度、ひと晩考えるといって、瑞樹は副社長室をあとにした。



 階下で待たせてあった専用車に乗り込んで、瑞樹は帰宅する。
 シートに深くもたれて、車の振動に身を任せていた。しばらくすれば薬が効いてきて、頭の中のもやもやが消えてきた。
 帰宅まで四十分、この間にざっと目が通せるなと、瑞樹は資料を取り出した。

 ppp……

 軽い呼び出し音が響いた。このメロディは、プライベートのスマートフォンのものだ。
 片頭痛が去って、予定外のコールがやってくる。ちっとも瑞樹を休ませてはくれない。

(この時間に、個人用のほうにかかってくるなんて……誰だ?)

 このスマートフォンのナンバーを知っているのは、家族と美沙希だけ。美沙希には平日の電話は遠慮してもらっているから、このコールは家族からのものになる。
 調子を狂わされて、瑞樹は憮然となる。
 でも出なくてはとスマートフォンを取り出せば、光る画面に『脩也』の文字があった。

(え?)
(兄さん?)
(あれ? 兄さんからなんて、何年ぶりだ?)

 慌てて瑞樹がコールに出れば、懐かしい声がした。

――瑞樹? 俺だ、脩也だ。今日、日本に帰国したんだ。

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