その涙が、やさしい雨に変わるまで
 松田ちゃん、松田さん、秘書、受付嬢と、脩也はポンポンと三琴のことを口にする。
 松田ちゃんが自分の秘書だった三琴のことだと判明したが、それとは別に瑞樹の中ではある疑問が浮かび上がってきた。

(あれ? 僕は、兄さんに松田さんことを話したことがあったか?)
(入国してすぐに電話したんだけど繋がらなかったっていうけれど、一体、誰に? いや、どこにかけたんだ?)
(本多さんは、そんな電話のこと、ひと言もいっていなかったんだが……)
 
 スマートフォンを耳に当てたまま、瑞樹は軽く混乱もすれば硬直もしていた。

――瑞樹?
 
 脩也の呼びかけで、瑞樹は三度目の沈黙から我に返る。とりあえずの疑問を思考から追い出した。

「あ、ごめん。それで、松田さんが、何?」
――今週末、仲間内で撮影会があるんだけど、ちょっと人手が足りなくて、松田ちゃんに単発バイトをお願いしたんだ。まだ彼女からは返事をもらっていないんだけど、一応、瑞樹に断っておこうと思って。副業規定とか、あるんだろ?

 瑞樹の社では、副業については原則禁止である。しかし、原則であるから申請内容次第では可能となる。
 今回の三琴の場合は、一日限りの単発バイトである。
 一見、問題なさそうにみえても、弟の職場の社員を勝手に使ってはいけないし、三琴が社則に引っかかるようなことがあってもいけない。そう懸念して、兄は申告してきたと思われた。
 社の管理者の顔をして、瑞樹は問うた。

「日当は出るの?」
――弁当代と交通費ぐらい。ほとんどボランティアだよ。
「金銭授受がないなら、問題ないよ」
――わかった。ありがとう。親切心に付け込んで、松田ちゃんに迷惑をかけてはいけないから。じゃあ、また。

 それきり、ぷつりと電話は切れた。

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