その涙が、やさしい雨に変わるまで
 そう、社外秘関与社員(インサイダー)なんてのは、口からのでまかせだ。あの程度の情報など、総務部でもわかっていること。
 でも、いかにもともったいぶって瑞樹は口にしてしまった。そして、副社長権限で人事異動を発動させてしまう。
 受付部門を選んだのは、もちろん新人研修がいらないということもあるが、この部門でなら三琴の姿を毎日、確認することができる。またここは女性が大部分を占める部門で、彼女が自分以外の男性社員と親しくなる恐れがない。

 社外への出入りの度に、瑞樹は素知らぬ顔をしてグランドフロアで働く三琴の姿を確認した。
 三琴は背筋をきれいに伸ばして、美しく受付カウンターに座っている。秘書のときと違って制服を纏っているのだが、誰よりもエレガントに着こなしていて、とてもいい。
 とっさに思い付いた異動先であったが、三琴の評判は悪くない。瑞樹が懸念していたことも起こっていなかった。

 ひとまずの三琴の処遇は決まったから、あとは瑞樹自身の空き時間の問題だ。
 三琴は定時で退社する身分であるが、瑞樹はいま、株主総会の案件で普段よりも忙しい。早く行動に移さないと、三琴の退職日がきてしまう。

 遅々として三琴との時間が割けない中で、瑞樹はやや焦る。転落事故から一年、業務中の瑞樹の姿は、裏では依然、片頭痛に悩まされながらも、見た目には問題ない。
 だが疲労が溜まってくる一日の終わりや週末になると、待ってましたといわんばかりに、鈍い痛みが瑞樹に襲い掛かる。

 三琴との時間を取ろうとしても、スケジュール的に可能なのは退勤後。となれば、悪コンディションの中での交渉となる。
 長年秘書を務めていた三琴である、誰よりも彼女は瑞樹の手の内を知っている。その彼女が強く退職を希望している。交渉が難航するのは目にみえていた。それゆえに、なかなか瑞樹は行動に移せなかったのである。

 そんないまひとつ波に乗れない瑞樹のもとに一本の電話が入った。兄、脩也からのものだ。
 そこから三琴が兄と接触したことを知る。自分が足踏みしている隙に、いつの間に! である。
 思いもかけないところで、瑞樹は足をすくわれたような気がしたのだった。

 
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