その涙が、やさしい雨に変わるまで
 彩也子のいうとおり、グランドフロアに菱刈(ひしかり)琉生(るい)がいた。瑞樹の手となり足となって働く、ヨーロッパ事業部のエースである。
 他のヨーロッパ事業部社員と比べて菱刈は背が高いだけでなく、瑞樹よりひとつ上の三十三才と年齢も若かった。だから、今グランドフロアにいる中高年の男性グループの中だと、ひときわよく目立つ。

「うん。間違いないと思う」
「かっこいいよね、ヨーロッパ事業部だよ! ルックスもよければ、若くして海外事業に抜擢されて実力も本物だし」
 ほれぼれと彩也子はいう。確かにその評価は間違いない。そして、自分のシフトの時間にヨーロッパ事業部メンバーのお出迎えができなかったことを残念がる。

 その菱刈だが、彼はドイツ帰国子女だ。瑞樹にその語学力と現地適応力を買われて、ヨーロッパ事業部へ配属された。
 ヨーロッパ出発前はもちろん現状報告を兼ねた一時帰国する際には、菱刈は必ず瑞樹の元を訪れていて、その場に秘書だった三琴も立ち会っていた。
 この菱刈と瑞樹、ふたりとも出身大学が同じということで業務終了後の雑談は、専ら大学関係の話が多かったと三琴は覚えている。

「しばらくぶりよね。菱刈さん、一年半ぐらい帰国していなかったかも」
 三琴の記憶では、瑞樹の転落事故前に帰国して、それ以来である。

「そんなに長く、帰省していないの?」
 ヨーロッパ事業部、大変なのねという彩也子の顔。
「ま、私の知らないところで帰国していたこともありえるから」

 三琴と彩也子がそんなやり取りをしている間にも準備が整ったらしい、ヨーロッパ事業部ご一団がわらわらとエレベーターホールへ移動する。
 それを認めて、三琴と彩也子も昼からの受付カウンター業務の準備に入った。
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