その涙が、やさしい雨に変わるまで
(え、え?)
(高崎さん?)
(あ、そうよね。菱刈さんのこと、カッコいいっていたし)

 このあと、ひと言言葉を交わそうなら一発触発となって、彩也子と菱刈のバトルがはじまりそうだ。脩也のときとは違う意味で。

 しかしその気配はかき消される。遠くのロビーソファセットで陣取っているヨーロッパ事業部幹部メンバーが、菱刈を呼んだからだ。
 ハリアーはまだかの声に、三琴はホッとする。普段ならわがまま幹部に振り回されるという場面であるが、今回は助け舟の様相だ。三琴も目で早く戻るよう菱刈を促した。社内のパワーバランスを乱すことはしたくない。

「とりあえず、こちらを」

 菱刈にすれば本当はもっと詳細を詰めたかったのだろう、しかし状況が彼を許さない。三琴だって秘書業務で時間がない場面を何度もみているから、彼のいわんとすることがわかる。
 無駄のない動きで名刺を受付カウンターに残し、菱刈は上司の元へ駆けつけていった。

 置かれた名刺は、ヨーロッパ事業部のもの。三琴は手元に収めると確認した。
 ここに記されているフォンナンバーは、事業所大代表だろう。しかしe-mailには菱刈のローマ字があるから、彼個人のもの。これを使えば菱刈まで直通できるに違いない。
 対応を済ませて受話器を置いた彩也子が、椅子から乗り出すようにして三琴の手元をのぞき込んだ。

「ちょっと、どーゆ―ことですか? 松田さん!」
 抜け駆けはズルいといわんばかりの、彩也子の口調。ここは受付カウンターだから、プロ受付嬢よろしく、ひそひそ声で会話ははじまった。

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