その涙が、やさしい雨に変わるまで
「久しぶりですね。受付はどう?」

 開口一番、秘書として働いていたときにもらったのと同じ口調で、瑞樹は三琴に話しかけた。

「はい。おかげさまで混乱することなく従事できていると思います」
「そう。それはよかった。入って」

 三琴の回答に柔らかい笑みを浮かべ、瑞樹は三琴を副社長室前室へ招き入れた。
 大きく扉を開く瑞樹の歓迎に従って、三琴は一歩、足を踏み入れた。




 一ヶ月ぶりに訪れるかつての自分の職場に、花はなかった。ここにくる途中のホールや廊下と同じである。
 この部屋、男くさくなった? というのが、古巣再訪した三琴の第一印象である。
 そして、その女気が抜けた副社長室前室に、本多はいなかった。

「副社長、本多さんは?」
「公休を取って、昼から帰った」

 あっさりと、瑞樹がいう。
 これで、瑞樹が自らが受付カウンターに内線電話をしたことも、前室インターホンに出たことも、理由がわかった。
 本多不在の理由はそれでいいとして、三琴としてはまたもや調子が狂う。呼び出しは、秘書業務のこと、本多に伝えそびれた事項のこととばかり思っていたからだ。

「何か飲む?」

 入室したものの所在なく佇む三琴に、瑞樹自らがお伺いする。
 三琴が様変わりしたかつての職場を観察している間、彼は彼で冷蔵庫をのぞき込んでいた。

「いえ、そういうつもりではありませんので、ご遠慮させていただきます」
「そう。僕はもらうね」

 従業員に遠慮することなく、副社長はミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。

< 85 / 187 >

この作品をシェア

pagetop