その涙が、やさしい雨に変わるまで
「私、のこと?」
「そう。退職後のことは、どうなっているのかなと思って」

(え?)
(私の退職後のことが……気になっていた?)

 思いがけないセリフを瑞樹からもらう。三琴は自然と瞳が大きくなっていた。

(だって、それって……私のことをまだ気にしてくれているってこと?)

 三琴は恋人からただの(・・・)秘書に戻ったから、副社長の瑞樹とは社員でなくなった時点で完全に縁が切れる。
 今後どこかで、そう例えば町で瑞樹とすれ違ったとしても、立ち話することはもちろん会釈をすることもないだろう、仮に気がついていたとしても。秘書を辞めるということは、そういうことなのだ。

 それを望んだのは三琴。三琴自身である。一社員としての絆にしがみ付いて社に居続けても、得られるものは結婚して幸せそうな瑞樹の姿を目にするだけ。それが辛かったから、決めた退職であった。
 受付カウンターに座るようになってから、三琴は瑞樹の姿を視界から外すことができていた。瑞樹の姿に一喜一憂しながらも、ようやく瑞樹のいない世界に慣れてきた。そんな次のステージに半歩足を進めたところで、こんな質問をされるなんて……

(気にかけてもらえるのは……やっぱり嬉しい)
(でも、これって、残酷な優しさだよね)
(ああ、ダメ。こっちがそう毒づいても、瑞樹さんには記憶がないから……)

「あ、ありがとうございます。まさか、そんなことまでお気遣いいただけるなんて、恐れ入ります」
 上司の一部下へ対する社交辞令として、感情を隠して三琴は受けとめた。
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