ようこそ、むし屋へ ~深山ほたるの初恋物語編~
本当の橘さん
翌日の昼休み、ほたるはももちゃんとさなえちゃんを橘さんに紹介した。
昔、篤が自分にしてくれたように、自分の友達の輪に橘さんを入れようと思ったのだ。
自ら人間不信を公言しているさなえちゃんは、眉間にしわを寄せ、距離を置いて橘さんを見つめていたけれど、噂好きのももちゃんは「橘さん、桜井さんにグループ誘われてバッサリ断ったんでしょ? その時のご感想は?」と、ぐいぐい迫っている。
「え、なんのこと?」
橘さんは白く長いうなじを傾げた。
「またまたぁ、転校二日目に桜井さんのグループが橘さんの席に来て、うちのグループに入らない?って上から目線でお誘いしたら、橘さんがキッと睨んでばっさり断ったって話ですよぉ」
「え、そんなこと……」と、しばし考え込んでいた橘さんが「あっ、あれ、桜井さんだったのね?」と両手で口元を押さえる。
「と、言いますと?」
ももちゃんの疑問に、ぽっと橘さんが顔を赤らめ、「あのね」と、説明を始めた。
『あがり症~?』
極度のあがり症の橘さんは、転校生としてみんなの注目を浴びながら自己紹介をすると考えただけで、心臓が爆発しそうだった。でも最初が肝心。ちゃんと挨拶しなきゃ。とも、思い、強いストレスとプレッシャーの中、閃いたのが『かぼちゃ作戦』。
舞台俳優が緊張をほぐすため、観客をかぼちゃに見立てるという伝説の作戦。でも、素人の橘さんがクラスをかぼちゃに見立てるのは難しい。そこでまた閃いた。
「コンタクトレンズを外そうと思ったの」。
コンタクトを外してしまえば、全てがぼんやりになるから怖くないんじゃないか。
「じゃあ、あの自己紹介の時、橘さん見えてなかったの?」
凛とした表情の橘さんを思い出し、ほたるはびっくりした。
「うん」と、橘さんが恥ずかしそうに笑う。そうして難を逃れた橘さんに、新たな難が起きた。
「コンタクトレンズ、なくしちゃったの」
どこを探しても見つからない。橘さんのコンタクトはハードコンタクトレンズ。使い捨てではなくて高価だそう。しかも買ったばかりで、とても両親には言えなかった。
仕方なく裸眼で学校に通い、なるべく席でじっとしながら、少しでも視力を上げようと家から持ってきた『見ているだけで目が良くなる4D eye ポケット版』を休み時間に見ることにした。二つの黒点を三つに見えるように目の焦点を合わせると、絵が立体的に見えて面白いし、ついでに視力も良くなる優れもの。それに集中していた橘さん。
「その時にいきなりぽんって、肩を叩かれたの」
気がつくと何人かの女子に取り囲まれていて、代表の子が「ねえ、どうするの?」とイライラした様子で詰め寄っている。目の悪い橘さんは、その子の顔をよく見ようと目を凝らした。すると「何?」と相手が怒った。
「それで『ごめんなさい』って謝ったら『もういい』って帰って行っちゃったの」
「……橘さん面白すぎ」
あっけに取られていたももちゃんが噴き出した。
でも橘さんは「私桜井さんに謝ったほうがいいかな。誰かわからなくてそのままにしちゃってたから」と青ざめている。
「いらないでしょ。別に橘さん悪くないし」と、さなえちゃんがぼそりと言った。
「でも、橘さん、視力の本じゃなくて、もっと難しそうな本読んでなかった?」とほたるは首を傾げる。
「私、その4Dしか見てないよ」
「え、でも表紙が」
「あ。あのね、表紙だけお父さんの夏目漱石をかぶせてるの。『目が良くなる本』なんか見てたらみんなに引かれちゃうと思って」
「……夏目漱石見てるほうが引かれる気がするけどね」
さなえちゃんの呆れた声に「そうなの?」と橘さんの綺麗な二重が大きくなった。
(そうか、体育も目が見えなかったから……)
体育の授業であまり動かない橘さんを「都会の子だからって、いい気になってるよねー」と桜井さんたちが言ってたけど、目が見えなかったら危なくて動けないのは当然だ。
「今も見えてないの? 焦点合ってる気がするのにぃ」
驚くももちゃんに橘さんは首を振った。
「昨日、深山さんが話しかけてくれたでしょ。私、嬉しいことが起きた時と、気合いを入れる時にキャンディー缶からキャンディーを一つ取り出して舐めるの。でね、キャンディー缶を開けたら、コンタクトレンズのケースが入ってたの。そういえば私、転校初日の朝、コンタクトレンズをお母さんに見つからないようにこっそり部屋で外したあと、気合いをいれるためにキャンディ食べたの。その時に、缶に入れちゃったみたい。ずっと教室で無くしたと思ってたから、びっくりしたわ」
『……』
「だから、今はみんなの顔がすっごくよく見える」
橘さんはにっこり笑ってほたるたちを見回した。
「ならさ、目が見えないのに、ほたるのこと気になってたのは何で?」と、さなえちゃんが疑いのまなざしを向ける。
「それはだって」と、橘さんがほたるに向かって微笑んだ。
「だって深山さん、私が自己紹介した直後に鼻血出したでしょ。誰かが『深山ほたるちゃんが鼻血出してます』って言ったのがすごく印象に残ってて、私、人の名前覚えるの苦手なんだけど深山さんだけは、その日のうちに覚えちゃって、ずっとどんな子だろうって気になってたの」
それを聞いたさなえちゃんが「天然だな」と戦闘モードを解除する。
「だねー」とももちゃん。
「?」
クエスチョンマークの橘さんに「つまりぃ、あたしたち、これからよろしくねってことだよん」とももちゃんがピースした。
昔、篤が自分にしてくれたように、自分の友達の輪に橘さんを入れようと思ったのだ。
自ら人間不信を公言しているさなえちゃんは、眉間にしわを寄せ、距離を置いて橘さんを見つめていたけれど、噂好きのももちゃんは「橘さん、桜井さんにグループ誘われてバッサリ断ったんでしょ? その時のご感想は?」と、ぐいぐい迫っている。
「え、なんのこと?」
橘さんは白く長いうなじを傾げた。
「またまたぁ、転校二日目に桜井さんのグループが橘さんの席に来て、うちのグループに入らない?って上から目線でお誘いしたら、橘さんがキッと睨んでばっさり断ったって話ですよぉ」
「え、そんなこと……」と、しばし考え込んでいた橘さんが「あっ、あれ、桜井さんだったのね?」と両手で口元を押さえる。
「と、言いますと?」
ももちゃんの疑問に、ぽっと橘さんが顔を赤らめ、「あのね」と、説明を始めた。
『あがり症~?』
極度のあがり症の橘さんは、転校生としてみんなの注目を浴びながら自己紹介をすると考えただけで、心臓が爆発しそうだった。でも最初が肝心。ちゃんと挨拶しなきゃ。とも、思い、強いストレスとプレッシャーの中、閃いたのが『かぼちゃ作戦』。
舞台俳優が緊張をほぐすため、観客をかぼちゃに見立てるという伝説の作戦。でも、素人の橘さんがクラスをかぼちゃに見立てるのは難しい。そこでまた閃いた。
「コンタクトレンズを外そうと思ったの」。
コンタクトを外してしまえば、全てがぼんやりになるから怖くないんじゃないか。
「じゃあ、あの自己紹介の時、橘さん見えてなかったの?」
凛とした表情の橘さんを思い出し、ほたるはびっくりした。
「うん」と、橘さんが恥ずかしそうに笑う。そうして難を逃れた橘さんに、新たな難が起きた。
「コンタクトレンズ、なくしちゃったの」
どこを探しても見つからない。橘さんのコンタクトはハードコンタクトレンズ。使い捨てではなくて高価だそう。しかも買ったばかりで、とても両親には言えなかった。
仕方なく裸眼で学校に通い、なるべく席でじっとしながら、少しでも視力を上げようと家から持ってきた『見ているだけで目が良くなる4D eye ポケット版』を休み時間に見ることにした。二つの黒点を三つに見えるように目の焦点を合わせると、絵が立体的に見えて面白いし、ついでに視力も良くなる優れもの。それに集中していた橘さん。
「その時にいきなりぽんって、肩を叩かれたの」
気がつくと何人かの女子に取り囲まれていて、代表の子が「ねえ、どうするの?」とイライラした様子で詰め寄っている。目の悪い橘さんは、その子の顔をよく見ようと目を凝らした。すると「何?」と相手が怒った。
「それで『ごめんなさい』って謝ったら『もういい』って帰って行っちゃったの」
「……橘さん面白すぎ」
あっけに取られていたももちゃんが噴き出した。
でも橘さんは「私桜井さんに謝ったほうがいいかな。誰かわからなくてそのままにしちゃってたから」と青ざめている。
「いらないでしょ。別に橘さん悪くないし」と、さなえちゃんがぼそりと言った。
「でも、橘さん、視力の本じゃなくて、もっと難しそうな本読んでなかった?」とほたるは首を傾げる。
「私、その4Dしか見てないよ」
「え、でも表紙が」
「あ。あのね、表紙だけお父さんの夏目漱石をかぶせてるの。『目が良くなる本』なんか見てたらみんなに引かれちゃうと思って」
「……夏目漱石見てるほうが引かれる気がするけどね」
さなえちゃんの呆れた声に「そうなの?」と橘さんの綺麗な二重が大きくなった。
(そうか、体育も目が見えなかったから……)
体育の授業であまり動かない橘さんを「都会の子だからって、いい気になってるよねー」と桜井さんたちが言ってたけど、目が見えなかったら危なくて動けないのは当然だ。
「今も見えてないの? 焦点合ってる気がするのにぃ」
驚くももちゃんに橘さんは首を振った。
「昨日、深山さんが話しかけてくれたでしょ。私、嬉しいことが起きた時と、気合いを入れる時にキャンディー缶からキャンディーを一つ取り出して舐めるの。でね、キャンディー缶を開けたら、コンタクトレンズのケースが入ってたの。そういえば私、転校初日の朝、コンタクトレンズをお母さんに見つからないようにこっそり部屋で外したあと、気合いをいれるためにキャンディ食べたの。その時に、缶に入れちゃったみたい。ずっと教室で無くしたと思ってたから、びっくりしたわ」
『……』
「だから、今はみんなの顔がすっごくよく見える」
橘さんはにっこり笑ってほたるたちを見回した。
「ならさ、目が見えないのに、ほたるのこと気になってたのは何で?」と、さなえちゃんが疑いのまなざしを向ける。
「それはだって」と、橘さんがほたるに向かって微笑んだ。
「だって深山さん、私が自己紹介した直後に鼻血出したでしょ。誰かが『深山ほたるちゃんが鼻血出してます』って言ったのがすごく印象に残ってて、私、人の名前覚えるの苦手なんだけど深山さんだけは、その日のうちに覚えちゃって、ずっとどんな子だろうって気になってたの」
それを聞いたさなえちゃんが「天然だな」と戦闘モードを解除する。
「だねー」とももちゃん。
「?」
クエスチョンマークの橘さんに「つまりぃ、あたしたち、これからよろしくねってことだよん」とももちゃんがピースした。