ようこそ、むし屋へ ~深山ほたるの初恋物語編~
ひいじいじと幻田んぼアート その1
ひいじいじが亡くなったのは、修学旅行が終わってほどなくのことだった。
清々しい秋の日の夕刻、空には沢山のアカトンボが舞っていて、稲穂と落ち葉の匂いの風がそよぐ中、ひいじいじは、縁側に置いたお気に入りのロッキングチェアの上で、膝に愛読書を乗せたまま眠るように亡くなっていたそうだ。
細く開けた窓から心地よい秋風が入り込み、ひいじいじの髪をそよいでいて、それはそれは気持ちよさそうな顔をしていた。と、発見したおばあちゃんは話していた。
ひいじいじの死は静かな老衰で、お葬式で「蜻蛉さん、お疲れさん。大往生だったねぇ」と、みんなひいじいじに声をかけていた。
和やかなお葬式はいいことだよ、と、おばあちゃんに言われた。
でも、ほたるはみんながひいじいじの死を喜んでいるように見えて嫌だった。
記憶は途切れ途切れで、気づいたら葬式で、気づいたら火葬場で、気づいたらひいじいじの仏壇ができていて……
写真になったひいじいじ。引き延ばされた白黒写真には、妙にカッコつけた20代くらいの若い男性がニカっと笑っていた。これがひいじいじだって言う。
写真は、ひいじいじの愛読書に挟んであったそうだ。
「遺影はこれにして欲しいって、写真の裏にメモ書きがあったけどやっぱ若すぎかねぇ」
仏壇の前でおばあちゃんが苦笑する。お母さんがまじまじと写真を眺め「これ、いつ、どこで誰が撮ったのかしらね」と首を捻り「さあねぇ」とおばあちゃんも首を傾げた。
ひいじいじが亡くなる前日、ほたるはひいじいじの部屋にいた。
ひいじいじは、いつもと変わらず茜色の夕焼け空をしょぼしょぼの目で眺めていた。縁側の近くを沢山のアカトンボが舞っていて、ひいじいじはそれを眺めていた。
「ひいじいじ、ただいまぁ」
ほたるが呼びかけても、ひいじいじはなかなか気がつかなかった。でも、それも随分と前からの当たり前だった。
ほたるが「ひいじいじ」と肩を叩くと、ようやく「ああ、ほっちゃん。おかえり」とひいじいじは微笑む。
「とうに九十超えとるのに、蜻蛉さんは妖怪だ」と巷で有名なほど、ひいじいじは歳のわりに元気だった。最近はちょっと耳が遠くて、前にもましてぼうっとしてたけど、でも、元気だった。
「ひいじいじにプレゼントがあります」
ほたるは隠し持っていた工作を「じゃーん」と差し出した。
「学校の美術の時間に作ったんだよ。結構大変だったんだから」
紙粘土製のトンボを針金で板にくっつけて飛んでいるように工夫したオブジェ。名前が蜻蛉でトンボが大好きなひいじいじのために作った。ひいじいじは「おお」とオブジェをしげしげ見つめ「綺麗なアカトンボじゃ。ありがとう、ほっちゃん」と笑った。
「え?」
ほたるとしてはギンヤンマのつもりで、トンボの体を緑と青に塗っていた。ひいじいじは、トンボの王様だから、トンボオブトンボ、的な意味で。
(ま、喜んでくれたならいっか)
深く気に留めず、オブジェをロッキングチェア近くのテーブルに置いて、「今日もいっぱいいるね、赤とんぼ」と、ほたるはひいじいじと一緒に窓の外を眺めた。
赤い夕陽とおなじ色のトンボが、暮れかかった秋の空をすいすい泳いでいる。今日はやけに多いな、と思いながら、そういえばこんなふうにひいじいじの部屋でゆっくりトンボを眺めるのは久しぶりだな、と小さな罪悪感が芽生えた。
最近は放課後もなんやかや忙しくて、ひいじいじの部屋に直行することも少なくなっていた。
ほたるはひいじいじの顔を盗み見て、ちょっと見ないうちにまたショボショボになったなと思った。明日からはもっとひいじいじの部屋に行くようにしよう。
「世代交代じゃよ、ほっちゃん」
ひいじいじは、アカトンボをゆるりと眺めながら言った。
「生き物は、次の世代に子孫を残すことが最大の使命なんじゃ」
「それ、理科の授業で先生も言ってたよ。まあ虫の話だけど」
ひいじいじは「そうか」と何故か嬉しそうに頷いた。
「ひいじいじにはひ孫のほっちゃんがいるじゃろ? そのほっちゃんも七五三が終わって、無事生きとる。ひいじいじが虫なら大成功じゃ」
「まあ、そうだね」
「子供だったほっちゃんも広い世界に飛び出した。これで、ひいじいじの役目は終わった。だからな、ひいじいじは好きな人に会いに行こうと思っとる」
「ひいじいじ、誰かに会いにいくの?」
「ずっと楽しみに待っとった。やっと会える」
ひいじいじは「どれ、久しぶりにまじないしようか」と笑った。
『アキツハノスガタノクニニアトタルルカミノマモリヤワガキミノタメ』
ほたるの額にひいじいじの骨っぽい指がマークを描く。いつもよりたっぷり時間がかかった。ひいじいじの指から温かい糸のようなものがほたるの内側へ流れ込んでくるような、不思議な感覚がした。
「ほっちゃんの幸せを、ひいじいじは願っとるからなぁ」と、ひいじいじは笑った。
清々しい秋の日の夕刻、空には沢山のアカトンボが舞っていて、稲穂と落ち葉の匂いの風がそよぐ中、ひいじいじは、縁側に置いたお気に入りのロッキングチェアの上で、膝に愛読書を乗せたまま眠るように亡くなっていたそうだ。
細く開けた窓から心地よい秋風が入り込み、ひいじいじの髪をそよいでいて、それはそれは気持ちよさそうな顔をしていた。と、発見したおばあちゃんは話していた。
ひいじいじの死は静かな老衰で、お葬式で「蜻蛉さん、お疲れさん。大往生だったねぇ」と、みんなひいじいじに声をかけていた。
和やかなお葬式はいいことだよ、と、おばあちゃんに言われた。
でも、ほたるはみんながひいじいじの死を喜んでいるように見えて嫌だった。
記憶は途切れ途切れで、気づいたら葬式で、気づいたら火葬場で、気づいたらひいじいじの仏壇ができていて……
写真になったひいじいじ。引き延ばされた白黒写真には、妙にカッコつけた20代くらいの若い男性がニカっと笑っていた。これがひいじいじだって言う。
写真は、ひいじいじの愛読書に挟んであったそうだ。
「遺影はこれにして欲しいって、写真の裏にメモ書きがあったけどやっぱ若すぎかねぇ」
仏壇の前でおばあちゃんが苦笑する。お母さんがまじまじと写真を眺め「これ、いつ、どこで誰が撮ったのかしらね」と首を捻り「さあねぇ」とおばあちゃんも首を傾げた。
ひいじいじが亡くなる前日、ほたるはひいじいじの部屋にいた。
ひいじいじは、いつもと変わらず茜色の夕焼け空をしょぼしょぼの目で眺めていた。縁側の近くを沢山のアカトンボが舞っていて、ひいじいじはそれを眺めていた。
「ひいじいじ、ただいまぁ」
ほたるが呼びかけても、ひいじいじはなかなか気がつかなかった。でも、それも随分と前からの当たり前だった。
ほたるが「ひいじいじ」と肩を叩くと、ようやく「ああ、ほっちゃん。おかえり」とひいじいじは微笑む。
「とうに九十超えとるのに、蜻蛉さんは妖怪だ」と巷で有名なほど、ひいじいじは歳のわりに元気だった。最近はちょっと耳が遠くて、前にもましてぼうっとしてたけど、でも、元気だった。
「ひいじいじにプレゼントがあります」
ほたるは隠し持っていた工作を「じゃーん」と差し出した。
「学校の美術の時間に作ったんだよ。結構大変だったんだから」
紙粘土製のトンボを針金で板にくっつけて飛んでいるように工夫したオブジェ。名前が蜻蛉でトンボが大好きなひいじいじのために作った。ひいじいじは「おお」とオブジェをしげしげ見つめ「綺麗なアカトンボじゃ。ありがとう、ほっちゃん」と笑った。
「え?」
ほたるとしてはギンヤンマのつもりで、トンボの体を緑と青に塗っていた。ひいじいじは、トンボの王様だから、トンボオブトンボ、的な意味で。
(ま、喜んでくれたならいっか)
深く気に留めず、オブジェをロッキングチェア近くのテーブルに置いて、「今日もいっぱいいるね、赤とんぼ」と、ほたるはひいじいじと一緒に窓の外を眺めた。
赤い夕陽とおなじ色のトンボが、暮れかかった秋の空をすいすい泳いでいる。今日はやけに多いな、と思いながら、そういえばこんなふうにひいじいじの部屋でゆっくりトンボを眺めるのは久しぶりだな、と小さな罪悪感が芽生えた。
最近は放課後もなんやかや忙しくて、ひいじいじの部屋に直行することも少なくなっていた。
ほたるはひいじいじの顔を盗み見て、ちょっと見ないうちにまたショボショボになったなと思った。明日からはもっとひいじいじの部屋に行くようにしよう。
「世代交代じゃよ、ほっちゃん」
ひいじいじは、アカトンボをゆるりと眺めながら言った。
「生き物は、次の世代に子孫を残すことが最大の使命なんじゃ」
「それ、理科の授業で先生も言ってたよ。まあ虫の話だけど」
ひいじいじは「そうか」と何故か嬉しそうに頷いた。
「ひいじいじにはひ孫のほっちゃんがいるじゃろ? そのほっちゃんも七五三が終わって、無事生きとる。ひいじいじが虫なら大成功じゃ」
「まあ、そうだね」
「子供だったほっちゃんも広い世界に飛び出した。これで、ひいじいじの役目は終わった。だからな、ひいじいじは好きな人に会いに行こうと思っとる」
「ひいじいじ、誰かに会いにいくの?」
「ずっと楽しみに待っとった。やっと会える」
ひいじいじは「どれ、久しぶりにまじないしようか」と笑った。
『アキツハノスガタノクニニアトタルルカミノマモリヤワガキミノタメ』
ほたるの額にひいじいじの骨っぽい指がマークを描く。いつもよりたっぷり時間がかかった。ひいじいじの指から温かい糸のようなものがほたるの内側へ流れ込んでくるような、不思議な感覚がした。
「ほっちゃんの幸せを、ひいじいじは願っとるからなぁ」と、ひいじいじは笑った。